第三部 1979年
新元素争奪戦
極東特別軍事演習 その4
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その日の正午過ぎ、函館に飛来したアントノフ124を巡って、日本は混乱していた。
北部航空方面隊がアントノフ124を発見できなかった事ばかりではない。
亡命者を巡って、警察と憲兵の間で、その法的な扱いが問題視されたからである。
最終的に1937年のゲンリフ・リュシコフ大将の例を基にして、警察が彼らの身柄を預かることで決着を見た。
事件の30分後には、急遽ソ連への対応を巡って、帝都城で臨時閣議が行われることとなった。
日本政府の意見は二つに割れていた。
機体を含む乗組員全員の、ソ連への即時返還。
もう一方は、亡命者の受け入れと国際法に基づいた軍用機立入分解調査の実施である。
数時間に及ぶ閣議が終了しようとしたとき、老中首座の真壁弦一郎が将軍に上伸した。
真壁家は、五摂家・斑鳩の家臣で、家老格の家柄だった。
「実は、ラングレーの友人より機密写真が届いておりまして」
そういうと、机の上に、100枚以上の写真がばらまかれた。
CIA経由で入った、シベリアにある軍事基地の全紙大の航空写真である。
「これがすべて、戦車だというのか」
帝国陸軍参謀本部第一部長を務める少将は厳しい表情で尋ねた。
彼が拾い上げたのは、米軍の高高度戦略偵察機SR-71が撮影した写真だ。
沿海州に展開している、ソ連赤軍機甲師団を捉えている。
ウラジオストックにも、ナホトカにも、3000両を超える装甲車両が配備され、軍団規模の兵力が存在することが分かる。
作戦部を統括する第二課長が、両切りたばこのピースを弄びながら答えた。
「写真の解析から航空班は、その様に答えています。
現地からの諜報員の報告を照らし合わせますと、1000両単位の戦車が配備されていると判断いたしております」
軍事演習にしては、明らかに数が多すぎる。
恐らく東欧撤退で不要になった戦車や自走砲が転用され、極東の防衛力が強化されていることは明白だった。
「BETA戦争でのカザフ防衛が失敗した現在、中央アジアとカフカスの連絡が絶たれた。
その事によってモスクワを放棄し、東欧の、東ドイツの重要性が薄れた。
そこで、極東方面にT−72を持って来たのか」
「シベリアだけではありません。
北樺太でもT−72戦車を始めとする最新型の戦車や自走砲の存在が確認されています」
真壁弦一郎が、深い溜息をついた。
「現状では、どうにもならぬな」
「木原と、ゼオライマーの存在とその力だけでは如何ともしがたいでしょう。
ですが、有力な同盟国が、わが日本帝国に参戦協力をしない限りは……」
真壁は婉曲的な表現で、米国の提案を受け入れろと暗示したのであった。
彼がそこまでして、日本政府の首脳を説得したのは理由があった。
日本政府の基本方針は、1922年のソ連成立以
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