暁 〜小説投稿サイト〜
冥王来訪
第三部 1979年
新元素争奪戦
バーナード星爆破指令 その1
[1/5]

[8]前話 前書き [1] 最後 [2]次話
 ソ連共産党本部には秘密裏に一人の人物が呼び出されていた。
その人物とは、ソ連水爆の父とされる、アンドレイ・サハロフ博士であった。
 サハロフ博士は水爆実験成功後、社会主義英雄を三度受賞した人物であるが、反核運動の旗手の一人でもあった。
 1968年、「進歩・平和共存および知的自由」を地下出版(サミズダート)し、その名を広く西側に知られている人物でもある。
(「進歩・平和共存および知的自由」は、1969年に日本でも邦訳されている)
 1975年にノーベル平和賞を受賞したこの人物は、何故、反核運動の旗手となったのか。
それは、ソ連各地の放射能汚染を目の当たりにし、核の被害に衝撃を受けたためである。
 また米国沿岸に大型水爆であるツァーリボンバーを投下し、人口津波を発生させる計画を発案したことがあったが、海軍少将に非人道的ととがめられたことも関係しているのかもしれない。
ともかく核戦力の拡充を進めるソ連にとって、同博士は厄介ものであった。
 サハロフ博士とKGBの関係は、最初から不仲ではなかった。
ソ連初の水爆実験成功の裏には、KGBの諜報活動が大いに関係しているからだ。
 FDR政権のナンバー2、ハリー・ホプキンスは、ソ連に原爆開発キットというべき一連の材料と制作方程式を空輸していた。
この事は、ジョージ・レーシー・ジョーダン大佐が記した「ジョーダン少佐日記」に克明に記されている。
 ジョーダン大佐は、世界大戦中、陸軍少佐としてソ連向けのレンドリースに関わっており、その中には米国からソ連へ運び込まれた放射性物質があった。
1940年代初頭の段階では、ソ連国内でウラニウムが未発見だったためである。
 当時の米人の多くは、放射性物質の危険性を知らず、素手でウラニウムを触れていた。
その様子を見たソ連将校は大童となり、彼等を叱り飛ばしたという。
 また日記には、大量のソ連軍人が米国内に出入りしていたことや、カウンターパートナーであるソ連軍少佐との交流が克明に描かれている。
(元防衛大学校教授の瀧澤一郎氏によれば、ジョーダン少佐の日記に出てくるソ連軍少佐、アナトリー・ニコラエビッチ・コチコフは、冬戦争への出征経験のある戦闘機パイロットで、おそらくGRUの工作員ではないかという)

 ソ連では1920年代以降、核開発はKGBの独占化にあった。
なぜ赤軍の中の研究班に置かれなかったのかというと、核開発のイニシアチブを取ったのがべリヤだったからだ。
そういった関係もあり、べリヤの息子であるセルゴ・べリヤはロケット技術者として核開発に携わっていた。
()
 ソ連赤軍は革命当初から党よりその存在を警戒され、とりわけ核の管理に関しても同様だった。
KGB第三総局、つまりは特別部が核の運搬や管理に人員を割いていた。
フルシチョフ失
[8]前話 前書き [1] 最後 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2025 肥前のポチ