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ボロディンJr奮戦記〜ある銀河の戦いの記録〜
第106話 憂国 その6
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湛える優し気な眼差しが、重なり弄ばれ続ける俺の右手と自分の左手に注がれる。

「……道徳のない経済は犯罪、か」
「あら、お信じになられるのですか? こんな荒唐無稽な、三文ホラーとしても出来の悪い話を?」
「嘘であればいいと痛烈に思うよ。少なくとも産んだ子供の性別すら知らない母親は、この世に存在しないってことだからね」
「……」

 胸糞な法螺話に騙されたという怒りより、そんな悪徳が存在しなかったという安堵の方がよっぽど大きい。だが現実は非情なのだろう。以前の彼女の決断を無にするようだが、仮に将来的に間違いであったとしても、言う必要があると俺は判断した。

「チェン=チュンイェン秘書官。貴女に長期出張を命ずる。明日出勤後、速やかに荷造りに入って欲しい。軍艦搭乗のチケットは私が用意する」
「……どちら迄でしょうか?」
 ようやくチェン秘書官の視線が、俺のとぼけた顔に向けられる。答えは分かっていると言った顔つきだ。
「フェザーン自治領まで。自治領主閣下へ返信送付の依頼だ」

 彼女が今までの忠誠心を破棄して俺の依頼を断り、トリューニヒトの飼い犬になったとしてもかまわない。それもまた彼女の人生の選択の一つ。だが手遅れだったとしても俺としては、彼女は今ワレンコフの傍にあるべきだと思う。片道約三〇日。軍艦を上手く乗り継げばもう少し早くたどり着ける。

「……往復六〇日も職場を不在にしてもよろしいのですか?」
「構わない。予算審議が凶悪化するのは六月以降だ。それまでは『仕事量を減らしても』問題はない」
 ハイネセンで悪霊を監視するのも一つの手段であろうが、そんな超弩級の背景を聞かされれば、もはや無意味で、そして無粋だ。
「定期便の数も少ない。もう少し『時間はかかってもいい』から、必ず自治領主閣下ご自身にお会いして手渡して貰いたい」
「もうお返事はご用意されているのですか?」

 既に赤毛の小娘(ドミニク)宛に送っているのであれば意味がないだろうという諦めが含まれた視線に、俺は右手をほどいてズボンの右ポケットから、キャゼルヌ先輩からカルヴァドスの返礼として譲られた本革の手帳を取り出して、一言だけ書き込んで引きちぎってチェン秘書官の左手に握らせた。

「それを頼む。必ず君が直接、手渡してくれ」
「承知しました」
 小さな紙の切れ端を開いて目を通すと、チェン秘書官はきれいに折り畳みなおしてから、ブラウスの内ポケットに仕舞う。
「他になにか、お言付はありますか?」
「『頭髪のない狐には十分気を付けろ』」
「……承知いたしましたわ」
 
 そう言うと再びチェン秘書官の左手が俺の右手に重ねられ、俺の右肩には僅かな重みが感じられるのだった。


 ◆


 入構の手続きを済ませ、一緒に付いてこようとするチェン秘書
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