第三部 1979年
戦争の陰翳
苦境 その4
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首相夫妻開催晩餐会の翌日。
マサキ達は東京を離れて、東京発新大阪行に乗り、一路関西に向かった。
朝一番の新幹線「ひかり」号に乗り、東海道線を3時間ほどかけて、京都まで移動した。
なぜ、こんな手間のかかることをせざるを得なかったのか。
これは、この異界にある日本の首都が京都に置かれていた為である。
現代でこそ、東京は政治と経済の中心であるが、これは明治維新と戦争の影響である。
戦前までは工業地帯といえば阪神工業地帯であり、商業の都市といえば大阪だった。
この異界では、1944年に終戦を迎えた結果、大規模な年空襲が起きなかった。
その為、大阪の商業都市としての機能が生き残り、関西地域の経済的優位性が保たれた。
大阪を起点に置く大企業の多くが、そのまま関西を中心に商業活動を続けることとなった。
故に現実と同じように東京を中心として、京浜工業地帯に集中する形には成らなかったのだ。
東京、大阪、名古屋、北九州の産業圏に分散した形で、より強く残り、我々の世界よりもずっと均等のとれた産業地図が出現することとなったのだ。
マサキが京都に向かった理由は、単純に観光だった。
来日中のアイリスディーナに、京都御所や金閣寺といった名跡をみせたかったからである。
一方、アイリスディーナが、マサキの誘いに乗ったのは、別な理由からだった。
F‐14の共同開発者の一人であるミラ・ブリッジスに会いに行き、技術的な情報を得ようとしたからである。
本来はこういう仕事は、軍事技術の専門家やシュタージの工作員が行う方が適切であろう。
だが、東ドイツ側も日本側の警戒を恐れて、下級将校であるアイリスディーナにその任務を申し付けたのだ。
東ドイツにとってミラの持つ炭素複合材の秘密特許はどうしても欲しい秘密の一つだった。
既存の戦術機開発に行き詰った東側にとって、超軽量の装甲は新たな収益を増やす材料に思えたからである。
BETA戦争での戦訓から、米国では重装甲のF4ファントムに代わって、軽装甲高速機動の試作機が開発中だった。
それは第二世代機と呼ばれるもので、研究開発が各メーカーにより矢継ぎ早に進められていた。
これは月と火星のハイヴ攻略作戦が早期に実現困難だと考えていた米陸軍の意見を反映したものだった。
彼等は10年に及んだベトナム戦争と3年間続いた月面戦争の敗北という、手痛い経験から消極的になっていたのだ。
空軍は空軍で戦術機の事を役立たずと認識しており、再開される冷戦を考えて、F−111戦闘機の大規模発注を進めていた。
戦術機開発に遅れていたゼネラル・ダイナミクス社にとって、その計画は社運を賭けたものの一つであった。
1964年に完成したF−111は、世界初の実用可変翼機として知られる戦闘爆撃機である。
ロバート・マ
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