暁 〜小説投稿サイト〜
冥王来訪
第三部 1979年
戦争の陰翳
苦境 その3
[3/5]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話
カーチス・エマーソン・ルメイ。
ドイツ全土に絨毯爆撃を行い、昼夜関係なく爆弾の雨を降らせて、10万単位の人間を焼き殺した人物だった。
 後にケネディ政権下で国防長官を務めるロバート・マクナマラは、ハーバード大学助教授時代にこう評した。
「ルメイは、異常に好戦的で、多くの人が残忍だとさえ思える」
 そしてそのことを裏付けるように、世人は彼の事を、「鬼畜ルメイ」や「皆殺しのルメイ」と呼んだ。
 退役したルメイを呼び戻したのには、理由があった。
新型のG元素爆弾の運搬を扱う部署の設置を巡って、陸軍と空軍でもめた経緯があったためである。
 ルメイは、陸軍航空隊出身で、ケネディ政権下で空軍大将を務めた人物である。
 そこで退役済みであったルメイに、白羽の矢が立ったのだ。
彼は、最後の御奉公として、喜んで軍服を着こみ、中央政界に戻ってきたのだ。
「では長期戦も辞さないと……」
 押し黙る東独議長に代わって、西ドイツ首相のブラントが、ルメイに問いただした。
ルメイは、悪魔的な笑みを浮かべ、こう答えた。
「地上兵力を送らず、爆撃を繰り返せば、短期間でカタは付きます。
BETAも同じです。新兵器さえ十分な数が揃えば、わが軍は労さずして平和を手に入れられます」
 ルメイの空爆に対する考えは、一貫していた。
それは空軍力の独立と強化であり、先の大戦での絨毯爆撃の推進もその一つだった。  
 ルメイの思想的な父とされる人物に、ヘンリー・アーノルド元帥がいる。
彼は陸軍元帥になった後、空軍元帥になった唯一の人物である。
 アーノルド元帥は、あの過酷なドレスデン空爆の提案者の一人だった。
そして日本家屋への焼夷弾投下の命令者でもあった。
アーノルド元帥を過激にさせたのは、戦略爆撃という思想だった。
 アーノルド元帥は、ウィリアム・ミッチェル准将(死後:少将に追贈)から陸軍航空隊に根強くあった空軍独立運動を引き継いだ人物だった。
 ウィリアム・ミッチェルは、米空軍の父と呼ばれる不世出の空軍軍人だった。
第一次大戦前から航空隊に参加し、大戦後に今の戦略爆撃論の基礎を作った人物である。
イタリアのドゥーエ陸軍少将の影響もあって、盛んに独立した爆撃機集団の設立を説いた。
 一方、1920年代後半という早い時期から戦艦不要論を説き、海軍関係者から疎まれていた。
時の大統領、カルビン・クーリッジからの不興を買い、1929年に降格の上、退役させられた。
不満をかこったまま、ミッチェル大佐は、56年の生涯をバーモンドの寒村で終えた。
 爾来、陸軍航空隊の中では、空軍独立論が継承され、その実現のために戦略爆撃が重要視されたのだ。
つまり、大都市への絨毯爆撃は、アーノルドの空軍独立のための政治的な実証実験だったのである。
 そういう人物から薫陶
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ