第三部 1979年
戦争の陰翳
苦境 その3
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産支那に現れるまでBETA戦争が遅れる原因の一つだった。
「それは、我が国の内政問題です」
押し黙る大統領に代わって、大統領補佐官のブレジンスキーがロシア語で口をはさんできた。
ブレジンスキーのロシア語に、議長は一瞬渋い顔をする。
ブレジンスキーは、虎の尾を踏むなと、暗にいってきたのだ。
義息ユルゲンの、預け先の男の言葉。
何か裏があるはずだ。
この言葉を警告として受け取った。
「そもそもドイツは、ユダヤ人への戦後補償も謝罪も不十分ではありませんか。
東ドイツがイスラエルに多大な賠償金を払ったという話は寡聞にして聞きません」
会議に同席していたヘンリー・キッシンジャー博士が、バイエルン訛りの強いドイツ語で議長に問いただした。
キッシンジャーは、ユダヤ系ドイツ人としてバイエルンに生まれ、1938年に米国に移住した人物。
1945年の終戦後、短期間だけ米軍下士官としてドイツに諜報員として滞在したことがある経験の持ち主だ。
そういう環境のせいか、終生、バイエルン訛りのドイツ語と英語を話した。
「すでに我が国における戦後賠償は、すべて解決済みであります。
ドクトル・キーシンガー」
議長は、皮肉たっぷりに訛りのないドイツ語で、キッシンジャーに言い返した。
東独政府は、1953年の協議でソ連との間では賠償放棄が確約していたからである。
またポーランドやハンガリー、チェコスロバキアとの個別交渉でもすべて解決済みであるとして、双方が賠償を放棄していた。
これは、ワルシャワ条約機構軍内のいさかいを抑えるためにソ連が行った措置であった。
そしてその立場は、1970年代初頭の西ドイツの東方外交でも維持されることとなり、賠償問題は解決を見ていた。
もっとも東ドイツの場合は、デモンタージュと呼ばれる過酷な現物賠償によって、すでに相応の金額を戦勝国に支払い済みだった。
工作機械や資材は勿論の事、有能な技術者や労働力をソ連に十二分に提供した後であった。
「では」
キッシンジャーは、デモンタージュなど知らぬとばかりに、開き直る。
大統領補佐官の彼も東独議長の言に、引けるに引けなくなっていたのだ。
「貴国への援助を止める方向で、考えるしかありませんな」
「そうなるとソ連赤軍が再びエルベ川を越えてくる事態になりますな。
三度、ジンギスカンの悲劇をご覧になりたいのですか!
そうなると困るのはあなた方ですよ」
大統領の傍にいる空軍将校の一人が、こう議長を威嚇した。
米国随行武官の中で、ただ1人70歳を超えており、最高齢の人物だった。
「そうでしょうか。
我が国は持てる空軍力をもって、あなた方の国土に出入りする不逞の輩を焼き払いましょう。
西ドイツ政府さえもたじろいだ、究極の戦術展開によって!」
男の名は、
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