3-3話
[1/5]
[8]前話 [1]次 最後 [2]次話
ケネスのねっとりとした「そんな俺だから気になる。お前は何者だ?宇宙世紀のしがらみにも囚われない高潔さ。利権などを絶ち切る清廉さ。民主主義の建前を建前ではなくちゃんと扱うその姿勢。明らかにジオン・ズム・ダイクンすら超えている。誰なんだ?教えてくれよ。俺にさ。この仕組みを作った男の名前を。」を聞いて固まりかけたが、ケネスの意図ははっきりとしている。
ケネスの言う、マフティーの清廉さを持つかを知りたいのだ。マフティーが清廉さを失えばマフティーではなくなると思っている原作からして、マフティー性を追い求めて、マフティーがまた生まれハサウェイのようなものが現れるまで、養成するような組織を作り上げた男らしい問いだ。
ハサウェイではなくて、ウッソにキンケドゥを名乗るフロンティアIV出身のシーブックが出てくるわけだけれども、リガ・ミリティアやクロスボーン・バンガードなどにケネスが関わっていたかはわからない。
こんな変わり果てた宇宙世紀じゃなくてもマフティーによるマフティー性を追い求めていたマフティー罹患者であり、マフティーを追い求めている余りにマフティーになってしまった男だ。マフティー捕りがマフティーになった存在。それこそがケネス・スレッグの本質であり、マフティーを分析するがあまり、マフティーに取り憑かれたのだ。
だからこそ、ハサウェイはケネス・スレッグという男に処刑されることでニュータイプ神話を終わらせて、逆にニュータイプという概念が無くなることで人々がニュータイプの本質を考えるようになった。つまり、ケネス・スレッグとハサウェイ・ノアはその装置であり、キルケーという単語も暗示だ。
キルケーは恋に破れてきた。ケネス・スレッグのその信念もアムロが言う「しかし、革命のあとでは、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる。」が一言一句違わずに効いてくるのだ。
アムロの「身構えている時には、死神は来ないものだ。ハサウェイ。」はビームバリアーに負けるハサウェイの暗示ではなく、アムロの持論によるマフティーの否定、つまりはニュータイプの代表格が語る革命のやり方についての話だったと思う。
「身構えている時には、死神は来ないものだ。」これは身構えているハサウェイとケネスには死神は来なかった。ハサウェイとケネスは闘争するうちに理解し合ったのだ。ニュータイプではなくとも戦いのうちに理解し合うそんな話だ。であるならば、死神は誰だったのか?アムロ・レイだったわけだ。
ケネス・スレッグの組織も、マフティー・ナビーユ・エリンという組織も大衆のムーブメントと官僚主義を巻き込めない一過性で有るとアムロ・レイはシャアと戦いながら論破していた。つまり、連邦の白い悪魔こ
[8]前話 [1]次 最後 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ