六、 自同律の不快の妙
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を目指して紆余曲折を経ながら”流れる”のであらうか。さうして存在は、森羅万象は、時間に翻弄され、時空間に弄ばれながら、存在もまた、そんな不合理で残酷極まりない時空間に順応するやうにと、尻を叩かれかちかち山の狸ではないが、兎に背負ってゐた柴に火をつけられ背に大火傷を負ひ、仕舞ひには惨殺される狸よろしく、此の世の森羅万象は世界に翻弄され、その挙げ句に憤死するのをぢっと待つのみの、世界にしたならばこれほど御しやすい存在もないのかもしれぬ。さうならば、存在はどうあっても世界に対して反乱の狼煙を上げるのが道理である。自同律の不快に端を発する憤怒は年を経る毎にその炎は燃え盛り、火炎の権化と化した存在は逆巻く炎に身を焦がしつつ、世界を焼き払はふとする筈である。仮にさうならないのであれば、それは存在としての怠慢であり、闇尾超も私も許し難い存在として唾棄するに違ひない。
森羅万象の憤懣は、然し乍ら、世界に対しては無力で、やはり世界に翻弄され続けながら、生き延びるのがやっとなのであるが、心の奥底で熾火の如くに燃え続けてゐる世界、または時空間に対する憤怒の火は、何時炎になってもおかしくないその時をぢっと待ってゐるのだ。それは星が大爆発してその一生を終えるやうに存在が滅亡する時、存在が絶えず抱へ込む憤怒の火はぼわっと一気に火勢を強め、大規模な手のつけられぬ山火事の如くに燃え盛る炎となって大爆発し、それは死の爆風として一瞬に全宇宙に燃え広がる爆風は尚も生き残る存在に対して少なからぬ影響を及ぼしては憤怒のRelayを行ふに違ひない。
自同律の不快は埴谷雄高の言であるが、闇尾超は思ふに自同律の不快ならぬ自同律の憤怒へと辿り着いた最初の人なのかもしれぬ。それはいひ過ぎかも知れぬが、しかし、闇尾超にとって自同律は快不快では最早済まぬのっひきならぬもので、己が此の世に存在してゐること自体激怒の因にしかならず、それは生きてゐることが憤怒でしかないといふ誠に誠に生き辛い、成程、闇尾超が己を絶えず弾劾してゐたのも解らなくもないのである。尤も、闇尾超にとって理想の自分といふものがあったかといふと、それはなかったやうに思ふ。唯、闇尾超は世界に翻弄される己が許せなかったのだ。そんな我が儘はこの不合理な世界では全く通用しないが、それではその憤怒の淵源は何に由来するのかと闇尾超は絶えず己に問ふてゐたに違ひない。それは元を辿れば闇尾超といふ存在に深く根ざしたもので、それは例へば闇尾超が幼少期に負った心的外傷なのかもしれず、それが時空間恐怖症の類ひであったならば目も当てられず、闇尾超の存在は絶えず恐怖で戦いてゐた筈である。もし時空間が恐怖の対象でしかなかったならば、それは発狂する以外どうしたらいいのだらうか。然し乍ら、闇尾超は確かに時空間恐怖症だったと思へる。それは闇尾超のあらゆる仕草から誰の目にも明らか
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