暁 〜小説投稿サイト〜
戦国御伽草子
壱ノ巻
毒の粉

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…戻ろう。



そう思ってあたしが踵を返そうとしたその時、ひゅうと空っ風が吹いた。



「寒、」



反射的に両肩を抱いて体を縮めたあたしは、そのまま声を失った。



あたしから十足あまりの近さに、兄上が、いた。月を見あげていた。



時すら凍ったように思えた。



それほどその光景は美しく、儚かった。



兄上には、姉上様のほかに、好きな人がいる―…。



その瞬間にあたしは悟った。



姉上様から聞いたときは、絶対にそんなことないと思ったけれど、今はそれを疑う方が愚かに思えてくる。



月を見上げる兄上の瞳は、狂おしいまでに強く何かを()うていた。手の届くことがない月に恋してでもいるように。



それが姉上様ではないことも、なぜか、わかった。



だってあの目はきっと手に入らないものを求めている。絶対に手に入らないとわかっているのに、それでも諦められない、そんな恋が、あるの?



あたしは知らない。そんな恋、したことない。



目頭が震えた。冷えた頬に涙は熱く溢れた。



悲しい。なんでだろう、ただ、ただ悲しい。



兄上と姉上様が相思相愛じゃないってわかってしまったのが悲しいのか、兄上がそんなあたしの知らないような切ない気持を抱いていたのが寂しいのか、そのどれもが違うのか、涙はあとからあとから零れた。



例え、兄上がいくらその人の事が好きでも、決して添い遂げることはできないだろう。



兄上の正室は姉上様だ。それはもう変わることのない事実なのだ。



兄上は優しいから、たとえこれだけ好きな人がいても、姉上様をけっしてぞんざいに扱ったりはしないだろう。



でも、きっとそれが姉上様にはお辛いんだ…。



兄上の視線が、はっと月からあたしに向けられた。思わずのように声なきその唇が誰かの名前をかたちどる。



何かに貫かれたかのようにあたしの心臓がどくんと大きく跳ねた。



その一瞬、まるで兄上が求め()うているのが世界中でたった一人、ここにいるあたしだけでしかないかのように、その瞳は誤違(あやまたが)わずあたしを射ていた。



妹のあたしですらどきりとするのに、兄上にこんなに求められたら、どんな姫だってきっと一目で恋に落ちるだろう、と思うの、に…。



また涙が溢れてきて、あたしは小さい(わらわ)のようにしゃくりあげた。



瑠螺蔚(るらい)?」



兄上が足早に向かってきた。



それはもう、あたしのよく知る
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