第三章
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「それはわしもよく見たしな」
「だからですな」
「それが日に日に重くなることもな」
「それがしもでした」
「それで必死に戦い」
「自害されたのですな」
「その腹を切る時もな」
自害のその時もというのだ。
「立派であったという」
「最後の時まで」
「そうであったそうだ」
「最後の最後まで、ですな」
「見事であったという」
「ずっとです」
康政は家康に話した。
「刑部殿は気遣いが素晴らしく」
「心根も奇麗でだな」
「そして潔く」
「ただ優れていただけではないな」
「立派な御仁でした」
「そうであったな」
「ですからその刑部殿の友となれたことがです」
このこと自体がというのだ。
「それがしもです」
「嬉しかったか」
「誇りでもありました」
康政自身にとってもというのだ。
「そうでありました」
「そこまでだったか」
「だからです」
「今こうしてだな」
「刑部殿を弔います」
そうするというのだ。
「友として」
「そうだな」
「武門の者なら敵味方に分かれることもあり」
そうして戦うこともありというのだ。
「戦の場で死ぬこともです」
「常であるな」
「そうでした、しかし友であるなら」
それならというのだ。
「死した時は」
「弔うか」
「絆故に」
友としてのそれがあってというのだ。
「そうします、では」
「うむ、弔うのだ」
「そうします」
こう言ってだった。
康政は吉継を弔った、そのうえで。
家康にだ、こう言われた。
「刑部殿の戦い振りは語り継がれる」
「永遠にですか」
「本朝においてな」
「それ程のものでしたか」
「そうであったからな」
だからこそというのだ。
「そうなる、そのことは嬉しいか」
「友ですから」
これが康政の返事だった。
「心から」
「そうか、わしも嬉しいぞ」
家康は康政のその言葉を聞いて笑って述べた。
「そう言えるそなたの様な者を家臣に持ててな」
「そう言われますか」
「心からな、ではな」
「はい、これで」
「都に向かう用意をしようぞ」
戦に勝ったからとだ、こう言ってだった。
家康は康政と彼の家臣達を連れて陣に戻った、この時そこにいる者全員で吉継を弔った場に手を合わせた。
大谷吉継の関ケ原での戦い振りは後世にも語り継がれている、そして徳川四天王の一人であった榊原康政が彼の友人であったことも歴史に残っている。だが吉継が死んだ時に彼が何をしたかは歴史に残ってはいない。だがこうした話が語り継がれている。敵味方に分かれたとしても友情があったということが。これもまた武士であるということか。
友の死 完
2022・11・17
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