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ドリトル先生と山椒魚
第三幕その十一

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「絶対にね」
「科学でも何でも」
「未来のことなんてわからないよ」
「学問にしても」
「そうだね」
「今の科学で未来の漫画やアニメの科学を語るとね」
 そうすればというのです。
「とんでもなく出鱈目なものになるよ」
「本にしてもつまらないね」
「そんなつまらない本もないでしょうね」
「そしてどれだけ無駄か」
「そんなことをしても」
「レオナルド=ダ=ヴィンチでもね」
 万能の天才と言われたこの人もというのです。
「ヘリコプターを考えていたね」
「縦に渦巻きになったプロペラだね」
「今じゃ飛べないってわかるよ」
「誰でもね」
「しかし未来の技術を考えたということではね」
 その視点で考えると、というのです。
「凄いことだよ」
「未来を考える」
「その技術を」
「そして学問も」
「それはいいことね」
「価値あることだね」
「けれど今の科学で五十年先の科学を無理だ出来ないと言っても」
 それでもというのです。
「何の意味もないよ、この前ダイアモンド婚式のご夫婦をお祝いさせてもらったけれど」
「ダイアモンド婚式は六十年」
「六十年前なんてね」
「テレビはまだ真空管で白黒で」
「今のテレビとは全然違うし」
「コンピューターだって巨大でね」
 そうした代物でというのです。
「特別なものだったね」
「国家機密クラスの」
「そんなものだったよ」
「当時はね」
「昭和三十年代は」
「それが二十年も経たないうちにだよ」
 その間にというのです。
「テレビはブラウン管、カラーテレビになって」
「その頃は信じられなかったね」
「普通に誰でもそんなテレビを持てるとか」
「何とかテレビが広まりだした頃から見たら」
「昭和三十年代からしてみたら」
「そしてコンピューターもね」 
 こちらもというのです。
「ゲーム専用でも」
「そうそう、ファミリーコンピューター」
「ファミコンが出てだよ」
「物凄い勢いで定着して」
「皆持つ様になったよ」
「そうなったんだよ」
 二十年程でというのです。
「昭和三十年代の技術でカラーテレビやファミコンを無理だ出来ないと言っても」
「滑稽だね」
「そう言う方がね」
「未来のことなんてわからないのに」
「何て愚かなことなのかしら」
「全くだよ、空想とか科学とか言って」
 先生は思うのでした。
「漫画やアニメでも未来の技術を今のそれで否定するなんて」
「子供の夢を壊すんじゃなくて」
「文明の進歩すら否定していて」
「誰の何の役にも立たない」
「意味もない」
「そんなものよね」
「そう、世の中無駄なことはそうはないけれど」
 それでもというのです。
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