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レーヴァティン
第二百三十六話 熊鍋その六

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「しています、歌舞伎でも」
「この世界にもあるしな」
「そうした話がです」
「あってな」
「それを出した演出も」
 これもというのだ。
「あります」
「そうだな」
「それをどうとか言いましても」
「何になるか」
「何にもならないかと」
 一切というのだ。
「それは」
「男のそうした相手もいる」
 遊女の様にとだ、英雄は言った。
「俺達がこの浮島に来る前からな」
「この世界に来る前から」
「既にあってだ」
 そうしてというのだ。74
「そのうえでだ」
「根付いていますから」
「それを禁じることもな」
「いらぬ騒動となりますね」
「そうもなるしどの教えでも禁じていない」
 仏教でも神道でもというのだ。
「やはり普通とだ」
「思っていますね」
「この浮島でもな」
「起きた世界の日本でも同じで」
「織田信長公もそうだった」
 森蘭丸だけでなく前田利家それに蒲生氏郷がその相手であった、このことは歴史でも何でもなく書かれている。
「武田信玄公も上杉謙信公もな」
「伊達政宗さんもでしたね」
「そしてそれをキリスト教の宣教師が見た」
 その中にはフランシスコ=ザビエルもいた。
「そのうえで激怒した」
「そうした話も残っていますね」
「しかしだ」
 それでもというのだ。
「宣教師が怒るのは当然でもな」
「キリスト教から見れば」
「起きた世界では最近までだ」
 それこそ二次大戦の頃でもであり今でも残っている。
「同性愛は絶対の悪だったからな」
「ソドムとゴモラの」
「だから激怒した」
 キリスト教の宣教師達はだ。
「日本には恐ろしい悪徳が蔓延っているとな」
「それで大名にも怒りましたね」
「そうした」
 そのフランシスコ=ザビエルのことだ。大内義隆に対して言ったがその彼もまた同性愛者であった。
「これはキリスト教、起きた世界のそれから見ればな」
「まことに当然ですね」
「当時は特にな」
 ましてザビエルは気真面目な人物だったので尚更だった、危険な船旅をしてまで遠い日本にまで布教に来た程に。
「そうだった、だが」
「それでも日本では」
「普通のことでだ」
「何故そう言われるのかわかっていませんでした」
「言われる方もな、長い間普通でだ」
 そうなっていてというのだ。
「そしてだ」
「そのうえで、でしたね」
「言われる方も嗜んでいることが多く」
「何が悪いか、でした」
「そうだった、文化や信仰の違いだ」 
 英雄は言い切った。
「そして俺はだ」
「文化や信仰が違っても」
「それでもだ」
「構いませんね」
「この浮島にいるのなら治める」
 その様にするというのだ。
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