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ドリトル先生と幸せになる犬
第七幕その十

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「地獄に落ちたらどうなるかってね」
「それぞれの犯した罪によってね」
「様々な地獄に落ちてるね」
「ローマ教皇でも誰でも」
「そうなっているね」
「そうだね、まあムハンマドはキリスト教の地獄には実はいないけれど」
 ダンテの神曲ではそうなっていてもというのです。
「あの人はイスラム教の開祖だからね」
「イスラム教の世界の人だから」
「そちらの天国に行ってるわね」
「そうなっているね」
「間違いなくね、コーランは面白くてね」
 イスラムの聖典はというのです。
「聖書では悲しい結末ばかりだけれど」
「そうそう、コーランでは違っていて」
「ハッピーエンドばかりなのよね」
「聖書で出て来る人もコーランだとね」
「ハッピーエンドで終わるのよね」
「どんな困難も勇気と知恵、信仰で打ち破ってね」
 コーランではそうなっているとのことです。
「そしてね」
「幸せを手に入れる」
「アッラーのご加護で」
「そして祝福されるんだね」
「そうだよ、だから読んでいて痛快なんだ」 
 コーランはというのです。
「聖書もいいけれどね」
「コーランもいいんだね」
「面白いんだね」
「そうなのね」
「しかもためになるしね」
 人間のそれにもなるというのです。
「読んでいいよ、しかしね」
「しかし?」
「しかしっていうと」
「何かあるの?」
「いや、旧約聖書の神様はよく怒るけれど」 
 それでもというのです。
「コーランの神様はまず怒らないんだ」
「そういえばそうだね」
「先生前にも言ってたわね」
「コーランの神様は滅多に怒らなくて」
「凄く寛容なんだね」
「それで人間も強いね」 
 コーランではというのです。
「神のご加護以前にね」
「自分で何とかするんだね」
「苦難があっても」
「そうなのね」
「そうなんだよね、少年漫画みたいにね」
 そうした感じでというのです。
「困難を突破してね」
「幸せになる」
「凄く前向きな本なのね」
「そしてイスラム教の教えも」
「逆境は乗り越えるものなんだ」
 例え目の前に存在してもというのです。
「神様もやたらと試練を与えないしね」
「じゃあ目の前にある?」
「自然と」
「そしてその試練を人は自分の力で突破する」
「そうした流れが多いんだ」
「僕が読むとね。神様を信じて前に進んで」
 そしてというのです。
「その苦難をね」
「知恵と力で突破する」
「本当に日本の少年漫画みたいね」
「それじゃあね」
「明るいね」
「友情、努力、勝利もあるかな」
 先生は笑って日本の少年漫画の三つの要素を出しました。
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