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ドリトル先生と幸せになる犬
第七幕その九

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「それは事実よ」
「ふわりに酷いことをしたから許せない」
「一つの考えではあるね」
 オシツオサレツは二つの頭で考えてお話しました。
「確かに碌でもない人達だし」
「その人達がどうなっても知らないっていうのはね」
「だから餓鬼になっても供養しない」
 老馬も言いました。
「それは考えとして一つの方法かな」
「命を何とも思わず迷惑を撒き散らし害毒を垂れ流す人生を送ると」
 そして餓鬼に堕ちると、というのです。
「もうね」
「餓鬼に生まれ変わって」
「常に餓えと渇きに苦しんで」
「そしてだね」
「助ける人もいないんだね」
「禅宗のお坊さんはお食事の時に餓鬼にお布施をするけれどね」
 この人達はというのです。
「けれどね」
「それでもなんだね」
「そうした人達が出るのも自然なんだ」
「人間の時の行いを見れば」
「そうしたことをする人も」
「うん、僕はどうかと思うけれど」
 それでもというのです。
「そうした人もいるよ」
「餓鬼は決して助けない」
「嫌いな人がそうなっていると思って」
「そして卑しくて浅ましいから」
「そのことを知っているから」
「そうする人もいるよ、餓鬼になるのは地獄に堕ちるより辛いかもね」
 こうも言う先生でした。
「若しかしてね」
「あっ、そうかもね」
「色々聞いているとね」
「餓鬼になるのって地獄に堕ちるより辛いかも」
「むしろね」
「うん、だから人は酷いことをしないことだよ」 
 絶対にというのです。
「そして浅ましいこともね」
「しないことだね」
「所謂人として外道は行いはね」
「そうしたことはしないで」
「徳を積むことね」
「それが大事だよ、しかし」
 こうも言う先生でした。
「僕も気をつけないとね」
「いや、先生は大丈夫だよ」
「先生程命を大事にしている人いないわよ」
「それに謙虚で優しくて」
「いつもいいことをしてね」
「無欲だしね」
「いや、人間油断すると堕ちるよ」
 そうなるというのです。
「努力しないとね」
「じゃあいつもなんだ」
「気をつけていて努力する」
「それで己を高める」
「そうしないと駄目なんだ」
「先生でもなのね」
「そうだよ、人間は誰でも餓鬼になるかも知れないんだ」
 その可能性はあるというのです。
「油断して努力しないとね」
「そう思うと怖いね」
「誰でも餓鬼になるかも知れないって」
「それで先生もだね」
「注意しているんだ」
「キリスト教徒でもね」 
 そのキリスト教徒としてのお言葉です。
「悪いことをしたら地獄に落ちるね」
「そうそう、最後の審判でね」
「地獄に落ちるね」
「そうなるね」
「ダンテの神曲にあるね」
 この有名な文学作品にというのです。
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