夢海、夢見る
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そこに図書館の景色はなかった。そこには地平線まで続く麦穂畑と、たった今沈まんとする巨大な夕焼けの姿が見えた。圧倒的な光景だった。穂波が彼の膝を舐めた。爽やかな風が彼の髪をふわっと持ち上がらせる。彼はその場に倒れこむと空を仰ぐ。麦穂のベッドが彼を優しく受け止めた。こんなにもいい気持ちになったことは無い。だんだんと彼の瞼は重くなり、やがて、眼を閉じた。
――「何やってるんだ?」
三島の意識を覚醒させたのは事務員だった。横を向くと、夢海の姿はたしかにそこにあった。思い出したかのように、カビとノリの臭いが彼の鼻孔をくすぐった。ここが書架であることをすぐには認識することができず、短い呼吸をなんども繰り返す。まだ意識が判然としない三島と夢海を、事務員は追い立てるようにして学校からたたき出した。
自転車を引いて帰る途中、夢海は突然しゃがみこむと、声を上げて泣きはじめた。どうして彼女が泣き出したのか、三島にはさっぱり理解できなかった。本当は彼女を置いて帰ってしまいたかった。でも、今度彼女をほったらかしにして家の門を潜ろうものなら、勘当されてしまうかもしれない。三島は彼女が落ち着くまで、ポケットに手を入れて、居心地悪そうに突っ立っていた。
「三島くん……。この世界にいる意味って、何かな?」
「意味?」
「百年後には皆死んじゃてって、千年後には私たちが存在した痕跡もなくなってしまう。それなのに、辛い世界で生きている意味って、何?」
三島は失語した。夢海は頭の弱い奴で、昔っから自分の言うことを唯々諾々と聴いてきた。約束が破られることはあっても、彼女が約束そのものを否定したことは今まで一度もなかった。だから、自分は心の何処かで、夢海には自分の意志ってものがないのではないかと思っていたのだ。しかし今、自分は困惑していた。
夢海が一番活き活きとしているときは、夢の話をするときだった。それは決まって三島が立ち竦む彼女の肩を叩いた後に起こった。三島はその話を聴くのが好きではなかった。それは一種の、生理的な嫌悪に近かった。自分は心の何処かで気付いていたのだと思う。夢海がこの世界よりも夢のなかの方が好きだと思っている事を。
いつもの自分なら、夢なんて言うのは脳の中で起こっている記憶の整理に過ぎないんだ。と言い切ることができるが、彼女の手を繋ぎ、彼女と同じ体験をしてしまった今、そんな事は言えなかった。
夢海が見る夢は、――体面を全て取り去って言葉にするならば、それは現実の世界よりも素晴らしい物だった。いつも孤独な思いをしている夢海が、夢の世界を渇望するのは、至って普通なことにすら思えた。そして、彼女を夢の中から引きずり出す自分は、邪魔者なのではないかとも思った。
歩き出す夢海。彼女に遅れないように、三島も歩き出す。夢海の本当の心を聴いたのは、これが初めてだ
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