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ドリトル先生の林檎園
第四幕その八

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「そこは」
「そうだよね」
「そうした純粋なところもね」
「愛する人を大切にするところも」
「いいところよ」
「だから義仲さんは純粋な人だったんだ」
 先生はまた義仲さんのことをお話しました。
「飾りっ気のないね」
「この木曽の武士だったんだね」
「要するに」
「人としてそうで」
「だから巴御前さんも死なせかなかったんだ」
「そうだったんだ、今だと気のいいお兄さんかな」
 それが木曽義仲さんだというのです、そうしたお話をして今度は義仲さんと巴御前さんの銅像のところに行きました。
 そしてお二人の姿を観てです、皆はまた言いました。
「悪い感じしないね」
「やっぱり武将って感じよね」
「飾りっ気がなくて」
「武士って人だね」
「そうだね、僕はこの銅像はこの目でははじめて見たけれど」
 それでもと言う先生でした。
「本当に武将だね」
「政治家って感じじゃないね」
「どう見てもね」
「具足姿のせいかも知れないけれど」
「そんな感じだね」
「そう、この人はね」
 やっぱりというのでした。
「生粋の武将だったんだよ」
「こうした銅像もあるし」
「地元じゃ嫌われていないのね」
「特に」
「そんな感じだね」
「地元の人に嫌われることはね」
 こうした事態はといいますと。
「相当だしね」
「戦国大名の人達も地元じゃ大人気だしね」
「さっきお話に出た武田家の武田信玄さんもそうだったし」
「上杉謙信さんもだしね」
「あと織田信長さんもね」
「徳川家康さんもそうだし」
「ご当地の人達が愛さないで」 
 それこそというのです。
「誰が愛するの、だからね」
「そういうことだね」
「それで木曽義仲さんもだね」
「戦国大名じゃなくて源平の時代の人だけれど」
「そうなったね」
「そうだよ、地元の人にはね」
 平家物語で悪く書かれていてもというのです。
「愛されてるね」
「そうだよね」
「そのことがわかるよ」
「銅像立ててもらってるし」
「巴御前さんと一緒にね」
「そうだね、じゃあ次はお寺に行こうね」
 こう言って今度は皆をお寺に案内しました、そこは徳音寺というお寺でした。
 そのお寺に入って幾つかのお墓を前にして先生は皆にお話しました。
「義仲さんと義仲さんに縁があった人達のお墓だよ」
「ここで義仲さんが眠ってるのね」
「このお墓で」
「そうなんだ」
「うん、ただ滋賀県の方にもお墓があって」
 そちらにもというのです。
「日本じゃ同じ人のお墓が幾つもあったりするからね」
「それで滋賀県の方にもお墓あるんだ」
「義仲さんのお墓も」
「そちらにもあるんだね」
「滋賀県の方にも」
「そちらのお墓の隣には松尾芭蕉さんのお墓もあるんだ」
 この人のというのです。
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