第三章
[1/2]
[8]前話 [1]次 最後
よしや身は 蝦夷が島辺に 朽ちぬとも 魂は東野 君やまもらむ
たとひ身は 蝦夷の島根に 朽ちるとも 魂は東野 君やまもらん
鉾とりて 月見るごとに 思ふ哉 あすはばねの 上に照かと
三つ程詠みそのうえで幕臣の一人島田魁に渡した、その島田がだ。
弁天台場で囲まれたと聞いてすぐに僅かな兵を率いて出陣した、そうして新政府軍の軍艦が沈むのを見てから兵達に言った。
「よいか、今が機だ」
「はい、敵の船を沈めました」
「まさに今がですな」
「機ですな」
「左様ですな」
「そうだ、だからだ」
まさにというのだ。
「ここは攻めよ、退く者は斬る」
「だからですか」
「ここは前に進め」
「そうせよというのですな」
「そうだ」
まさにというのだ。
「よいな」
「わかり申した」
「それでは」
兵達も頷いてだ、土方と共に攻めに入った。土方は箱根一本木関門に陣取って采配を執った。敵は七重浜から攻め寄せて来るが。
土方は馬上で采配を執り戦った、ここで彼は激戦の中自ら刀を抜いて突っ込みその中で死んだとも乱戦の中で死んだとも言われている。どちらにしても彼は撃たれて死んだ。馬上において最後の最後まで戦い抜いて武士として死んだ。
この戦いの六日後幕府軍、蝦夷共和国は遂に降った。幕府の閣僚の八人の中で戦死したのは土方だけであり彼は自身が望む様に武士として死んだ。
土方の髪の毛と写真は無事に市村によって日野の土方の家族に送り届けられた、この時市村は自身が五稜郭を去る時に気付いた窓の人影のことを話した。
「あれは誰かわからないですが」
「それでもか」
「はい、多分ですが」
こう前置きして言うのだった。
「土方先生だったと思います」
「そうなのか」
「僕を最後まで見送ってくれたんだと思います」
人知れずそうしたというのだ、自身の遺品を馴染みある家族のところに届けてくれる彼を。
後に市村は二年程土方の親戚であった佐藤家に留まり後に実家で同じく新選組にいた兄とも再開し一説には暫くして大垣で病に倒れたとも西南戦争で西郷の下に入り最後まで武士として戦って死んだとも言われている。土方の後を追う様に。
土方歳三の最期はよく伝えられている、それは実に武士の死に様であり彼にとって本望であったことが窺える。市村に対しての最後の接し方も武士のものであった。彼は辞世の句を幾つか残したことは上記だが実は辞世の俳句も死の間際に出した手紙に残っている。
早き瀬に 力足らぬや 下り鮎
死を前にした武士の辞世のものとして相応しいだろうか、武士は死ぬ間際に辞世の句を残す。彼は近藤がそうであった様に最初は武士と呼べるものではなかったかも知れない。だが武士として死んだことはここに書き残しておく。一人でも多くの方が読んで頂け
[8]前話 [1]次 最後
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ