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『賢者の孫』の二次創作 カート=フォン=リッツバーグの新たなる歩み
啓蒙
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するか? 俺達は考えるべきなんだ、どうしたら魔法が人々に害を与えないようにするかを。こんな言葉がある『機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり』だ」
「そりゃあいったいなんの呪文だい?」
「遠い異国の地の賢人の逸話で――」

 機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心ありとは、中国の古典『荘子』に出てくる言葉だ。
 あるとき孔子とその一行が井戸で水を汲んでいる老人に会った。
 老人は井戸から水を汲むのに縄につけた桶を井戸に下ろして引っぱっていたので、孔子の弟子のひとりが滑車という物があるのを知らないのかと訊くと、こう答えた。
「もちろん知っている。力をほとんど使わずに重い水を上げることができる機械だろう」
「それをご存じなのになぜお使いにならないのですか?」
「滑車を直す術を知らないからだ。機械は便利な道具だが、壊れてしまってはどうすることもできない」
 対処できない事態、機事が起こり、機械に頼る心、機心がいちど宿ってしまうと、もう機械のなかった時代にはもどることができない。
 こうして人は機械無しでは生きられなくなり、人間本来の営みさえ忘れてしまう――。  
行き過ぎた科学技術に対する警句とも文明批判とも受け止められる逸話だが、技術や文明が発達することのなにがいけないのであろう、どこが悪いのであろう。
 江戸時代には飢饉や伝染病で多くの人が死んだが、近年の日本ではそのような事例はめっきり減った。平均寿命も延びた。
 機械化農業によって大幅に労力が軽減されるとともに作物の収穫量も増大した。冷害などに強い品種が開発された。医学の進歩によって多くの病気が治るようになった。輸送網の整備により収穫物を遠く離れた土地まで迅速に送れるようになった。
 どれもこれも科学技術の進歩のおかげである。
 科学が、機械が、技術が、文明が、人間を多くの苦しみから解放したのだ。
 この世界における魔法もまた、そのような技術のひとつである。
 魔法そのものは、けっして悪いものでも不要なものでもないのだ。

「――魔法が剣呑な技術なのは確かだ。しかし実際にそれが世に浸透している以上、いくら忌み嫌っていてもそれの影響から完全に免れることは現実的ではない。ではどうするべきか? 魔法と魔法使いをこの世から抹消する? それこそ現実的とは言えないだろう。それなら魔法が人々に害を与えないよう、働きかけるのはどうだろうか」
「…………」
「ここに一本のペンがある。これで美しい絵を描くことも人を刺すこともできる。俺は自分でも美しい絵を描きたいし、描こうとする人の手伝いもしたい」
「……グレソ先生はああだし、ちゃんと魔法を知りたい」
「カートから魔法を教わりたいな」
「ただ、破壊魔法はちょっと」
「生活に役立つ魔法が使えたいよ、この菜園を作った
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