地獄の門へ (上)
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「ゲリラ戦をする」
なんでもないように俺は言う。小太郎にも異論はないようだ。
だが俺としては甚だ不服な愚策でしかない。
そもゲリラ戦術に於いて必要なものは何か。それはざっくり纏めると三つである。
一つ、現地の人々の厚い支持と協力。この協力というのは、物資や情報の支援、戦力の安定的供給を意味する。
生憎と生存者は、今のところ特異点に転移させられてすぐの二十七名しか見ていない。生き残っている人々がいれば支持は得られるだろうが、ケルトどもは基本的に生存している人間は鏖殺しているようだ。
よって支持を得ようにも、現地の人間が鏖にされているか、される時点で支持は意味がない。民間からの協力もあてにならない。
二つ、敵に発見されていない、もしくは発見されても攻撃される恐れのない安心と安全の拠点。後は最低限度の兵数が必要である。
俺の言う攻撃対象にされない拠点というのは、何も堅牢な城塞ではない。武器庫、食糧庫、兵舎と病院などを備えた後方基地である。帰る家があるというのは精神衛生上なくてはならない物だ。またゲリラ戦とは基本的に多数に対する少数での非正規戦である為、敵側から捕捉される=死が決まる。なので常に移動し続けるのが鉄則だ。
後方基地もキャンプ地として、移動能力を備えていなければならない。またキャンプ地は敵側から送り込まれてくる戦力が最小限に留まる立地であるのも条件の一つだ。現代のゲリラ兵は遠方から目的地に侵入し、爆発物を敵拠点に仕掛けてさよならバイバイが基本的な戦術だが、とても誉められた行為ではなかった。
そしてゲリラ戦術と聞いて勘違いしてはいけないのは、森林地帯などに潜伏して多数の正規軍を攻撃する事だけではない事だ。それだけに専念した場合だと敵軍勢に対して出血を強いるだけで、戦略目的を達成するのは到底不可能である。
それに繰り返すが、ゲリラ戦術をする以上は常に移動し続けないといけない。「この山、もしくは森林地帯にゲリラがいる」と正規軍に露見した場合、総戦力をわざわざ小出しにしてはくれないもの。一旦部隊を下げ、軍隊なら空爆なり砲撃なりで周囲一帯を綺麗に耕した後に大部隊で総攻撃をしてくる。敵がサーヴァントで対軍なり対城なりの宝具を持ってるなら山に入らず薙ぎ払ってくるだろう。山に篭る、一ヶ所に留まるのは、あくまで敵に奇襲で殴り付け、一撃離脱よろしくサヨナラするまでの間でなければならない。
そもそもゲリラ戦術の極意とは「守らない」事である。徹底して攻め、逃げ、攻め、逃げる。守るべきものは全て捨てる。そうでなければゲリラは破滅するのだ。よく映画などでゲリラが無双しているが、あんなものはフィクションでしか有り得ない。
そして三つ目。これが一番大切だ。ずばり敵対勢力が手出ししない・出来ない支援者であ
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