第一章
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適量
歌劇はイタリアのものでありイタリア語で歌われるものである、こう思われていた。だがウォウフガング=アマデウス=モーツァルトは周囲に笑って言うのだった。
「それは固定観念だよ」
「いや君はそう言うが」
「音楽はイタリアじゃないか」
「あの半島の諸都市から来た音楽家のものだろう」
「何といっても」
周りはモーツァルトに当時の現実を話した。
「あちこちに半島から来た楽士がいる」
「この神聖ローマの有力な領主の宮廷には大抵いるじゃないか」
「むしろいない宮廷なぞない位だ」
「ある程度の領主は歌劇場も持っているが」
その歌劇場でもというのだ。
「監督はイタリア人ばかりだ」
「歌手もそうだ」
「歌劇はイタリア語で歌われているじゃないか」
「君だって歌劇を作曲しているが」
モーツァルトは子供の時に歌劇を作曲している、神童ともミューズの子とも呼ばれている彼は子供と言っていい年齢でそれを行っているのだ。
しかしだ、それでもなのだ。
「君の歌劇もイタリア語じゃないか」
「前のイドメネオもそうだな」
「その前の歌劇もだ」
「全部そうじゃないか」
「そうだね、しかしそれはあくまでだよ」
モーツァルトは真剣に語る友人達に笑って返した。
「固定観念だよ、それこそドイツ語でもだよ」
「我々の言葉でもかい」
「歌劇を作られる」
「そう言うのかい」
「そう、ジングシュピールがあるけれどね」
モーツァルトの笑みは悪戯っぽい笑みだった、その笑みのまま語るのだった。
「そこからさらに歌が多い」
「歌劇か」
「ドイツ語の歌劇が出来るのか」
「ジングシュピールでなく」
「本当に出来るのかい」
「世の中不可能と思われている可能なことは多い」
モーツァルトはここでこの言葉も出した。
「我がオーストリアのカウニッツ侯爵の言葉じゃないか」
「いや、それでもだよ」
「政治と音楽は違う」
「音楽はやはりイタリア人のものじゃないか」
「歌劇もそうだ」
「それは固定観念というより絶対のものだ」
「それは変えることは出来ないと思うが」
友人達が言う、だがモーツァルトは笑顔のままその彼等に言うのだった。このことは変わらなかった。
「まあ見ていればわかるよ。僕は音楽はどの国の人も作ることが出来奏でることも歌うことも出来ると思っている」
「かく言う君もこの国の出身だ」
「ザルツブルグに生まれている」
「そうして多くの作曲を行ってきたが」
「音楽はやはりあの半島のものだよ」
「それは変わらないと思うが」
友人達はこの考えを変えなかった、彼等はモーツァルトが言う固定観念のままに音楽はあの半島のものであると考えていた。
だが神聖ローマ帝国皇帝実質的にはオーストリアの皇
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