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雲は遠くて
145章 ラッパーのケンドリック・ラマーと、信也
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ップホップアーティストで初の『ピュリツァー賞』を受
賞する。
1943年に設立されたピューリッツァー賞の音楽部門は、
クラシック音楽作品が受賞するのが言わば常となっており、
クラシックやジャズ以外の作品が選ばれるのは今回が初。
ヒップホップに限らず音楽史全体において特別な意味合いを持つ石碑を打ち
立てた。
同賞の委員会は、ケンドリック・ラマーの4目のスタジオアルバムである
『DAMN.』について、
「現代を生きるアフリカ系アメリカ人の複雑な人生を捉え、土地や文化に根付く
本物の言
葉やリズムのダイナミズムを統合した高水準な楽曲を収めた名作」と評価す
る。

「音楽を通じ社会の苦悩をメッセージとして発し続けるケンドリック・ラマーさ
ん。
若者たちに自ら考え行動することを訴えています。」

 そう報告する、NHK・文化部の斎藤直哉さん。

「ライブで曲を歌うと、肌の色や民族の異なる多くの人が来る。
これが究極の目標です。
2時間のステージに、存在するのは、(あらそ)いではなくて、
《愛と幸福感》だけなんです。」

 と、ケンドリック・ラマーは語る。

「銃撃事件が絶えない、カルフォルニア州、コンプトン地区。
この全米で最も危険といわれる場所で、ラマーさんは生まれ育ちました。
ラップを始めたのは、友人が銃撃されるなどの、過酷な現状を訴えたいとの思
いからでした。」

 と、文化部の斎藤さん。

「僕たちは自分たちでは手に負えない環境で育った。
ヒップポップは、僕にそうした感情を表現するチャンスをくれた。
他人がどう思うかは関係なく、吐き出さなければいけない感情だったんです。」

 と、ケンドリック・ラマー。

「代表曲の《オールライト(ALRIGHT)》。やり場のない思いをつづりながら、
それでも、俺たちは大丈夫さと語りかけます。
この曲が思わぬ広がりを見せます。全米に広がった《差別撤廃運動》、
そのデモで、人々が歌い始めたのです。
この動きはアメリカを()えて世界にも広がりました。」

 と、文化部の斎藤さん。

「僕の作品や音楽で学んできたことは、僕自身のためだけではなく、
逃げ場のない街に育った子供のためだったんです。
今はコミュニティーにとどまらず、世界中に伝えることができると思います。」

 と、ケンドリック・ラマー。

「なぜ彼の歌が支持を集めるのか、
専門家は、かつて時代を動かしたアーティストとの共通点を指摘しています。」

 と、文化部の斎藤さん。

「年配の方々にとってのボブ・ディランが、今の若い人たちにとってのケンドリッ
ク・ラマーである、
というふうに言っていいんじゃないかなと思うですよね」

 と語る、慶応義
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