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サメに手足を食いちぎられた恐怖の魚釣り
サメに手足を食いちぎられた恐怖の魚釣り
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く行動した。
 ヘリに乗せられていたのは、憔悴しきった電器課主任吉田君、一般食料品課主任佐藤君の二人だ。二人は、毛布に包まれ、頑丈そうな隊員に支えられて、救急車で病院に向かった。
 近くを航行していた第八管区海上保安庁の船も、確認のため沖合にあるコンクリート製消波設備に向かったらしい。
 漁師さんにバスタオルを貸してもらい、ズブ濡れになっているズボン等を拭いた。漁師さん達が、ストーブ代わりにドラム缶に木を入れて燃やしてくださった。お蔭で、体の芯まで温まった。他人の優しさに触れて、思わず涙がこぼれそうになったので、上を向いて青空にぽっかり浮かぶ小さくて純白の雲を見つめた。情にもろい大田主任は、海を見ているが、多分、目にはいっぱいの大粒の涙が覆って何も見えてないだろう。
 そうこうしているうちに、海上保安庁の船が賀露港に着岸した。近くで見ると、威風堂々として頼りがいのある大きな船舶だった。TVで見たことはあったが……。
 海上保安庁の船で運ばれてきたのは……ビニール製の寝袋のような物で包まれた、大谷君と吉岡君二人の遺体だった。私と大田主任は、彼等の冥福を祈って、長い間、手をあわせていた。
 賀露港の周囲は、むっとするような男性の体臭に覆われ、酸素が希薄になるぐらいに大勢のマスコミ関係者が、我々に向かって、まるでイノシシのように突進してきた。神戸市にある車が多い国道四十三号線以上の騒音も共に連れてきた。ここが、京都の太秦≪うずまさ≫にある東映撮影所であれば、
「静まれ! 殿の御前でおわすぞ。構わぬ、切ってすてー!」
 と、喚くのだが……。
 私は、TV、ラジオ、新聞、雑誌等のマスメディアの取材攻勢には、正直ウンザリしたが、いきなり時の人となった気分もあながち悪くは感じなかった。同時に取材された子供売り場の大田主任もニコニコ顔だった。
 しかし、マスコミ関係者から教えてもらったのだが、大谷君と吉岡君はサメに全身をかみ千切られ、出血多量で死亡し海底に沈んでいたらしい。何とも無残な釣行となってしまった。悔やんでも悔やみきれないが……。このことは生涯忘れられないだろうし、忘れてはいけない事故であり、生きている限り彼等のお墓参りをすべきだ、と心の底から思った。
 鳥取市に実家のある吉岡君のお通夜式に、大田主任と二人でご焼香に行った。まるで、我々が吉岡君を殺害したような錯覚を覚え、激甚な後悔の念が再来した。ご両親、兄妹、親戚にご挨拶するのが怖かったし、どういえばいいのか分からなかった。ただ、小さな声でお悔やみだけはいえた。
 大谷君は、大阪の泉北に実家があったので、お通夜式には行けなかった。翌日は「友引」であったから、告別式は二日後に執り行われるので、大谷家のお通夜には弔いの電報で済ませた。
 早朝、私と大田主任は、鳥取空港から伊丹空港へYS11で飛
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