竜宮城に行けた男
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アルバイトを休まずこなしながら、卒業時には全ての科目で優を獲得した。
ゼミの教授から、一般に言う大学院に残るのを何度も何度も薦められた。
「君ほどの才能が溢れているなら、経済学研究科に進めば、将来は間違いなく教授の椅子が約束されるよ!」
しかしながら、経済学研究科に残るのは私にとって時間の浪費でしかなかったのだ。そこで、経済的理由を盾にしてゼミの教授に何度も頭を下げ、ていねいにお断りした。他人には話せない,否、話したくない例の目的があったからだ。その目的がなければ、研究科に籍を置いて経済学を一層深く研究していただろうに……。近い将来に博士号を獲得して、大学または大学院で教鞭を執りたかったのは、偽らざる本音でもあった。ミクロ経済分析の射程を非市場的な行動を含む幅広い人間行動と相互作用にまで拡大した業績を讃えられ、千九百九十二年にノーベル経済学賞を獲得し、シカゴ大学で教鞭を執っていたゲリー・S・ベッカー氏を研究したかったのだが……。
大学在学中にバイトに励んだために、卒業時には五百万円を超す預金さえできた。お金を使う時間もなかったし、何よりも竜宮城に行くための研究に使用したかったのだ。だが、このお金も社会人になってから半年前後で無くなった。書籍、文献資料の購入等で、それこそ「あっ」という間に使い尽くしたのだ。
私は三回生の春から、有名IT企業にターゲットを絞り込み本格的に会社訪問を始めた。筆記試験と面接の結果、十六社から内定通知をいただいた。仕手株バブル(九十年代半ば兼松日産農林等)、ITバブル(光通信等)、新興市場バブル……など、何度となく株式市場はバブルを膨らませ崩壊した。内定通知をいただいたのは、その中を耐え抜いた企業ばかりだった。
各社の財務諸表や株価の推移等を見極め、三十四歳で退職する予定の私にとって、金銭面でBESTの一社を選択して入社した。
私はサラリーマンとしても優秀であり、退職の「た」の字すらおくびにも出さなかった。仕事一筋のワーカーホリックとして、いつも喜色満面で上司から与えられた仕事を卒なくこなすばかりでなかったのだ。自ら進んで様々な有益な提案をして、実行に移し上司が満足する充分な成果を導いた。私は会社を背負って立つ人間であり、今日の会社の好業績を導いたと自負しても、誰も異を唱えないだろう。
日本では「滅私奉公」に代表されるように、身をかえりみず職業に邁進することが良いとする規範が、今でも存在し続けている。自身より職を優先することこそが、社会的に求められているのだ。
自分で言うのもはばかれるが、私は身長百八十四センチメートル、体重七十キログラム、誰もが羨むスラリとした筋肉質のチョーイケメンである。会社の同僚達の付き合いで止むを得ず参加した幾多の合コンの場で、女性達がだすフェロモンの誘惑にも一切興味を
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