竜宮城に行けた男
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この世の闇路≪やみじ≫を 照らしたもう
妙なる光の 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり
萎≪しぼ≫める心の 花を咲かせ
恵みの露≪つゆ≫置く 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり
平和の君なる 御子を迎え
救いの主とぞ 誉め称えよ
誉め称えよ 誉め、誉め称えよ
(シュワキちゃんがマセていることが、なぜ讃美歌で歌われているだろうか?)
先生に尋ねるのも気恥ずかしくて、頭の中で何度も何度も反芻≪はんすう≫し答えを導きだそうとした。でも、その時にはそんな努力は一向に報われなかった。だが、私が六歳の時だった。【シュハキマセリ】は「主は来ませり」であり、主の再来により地上にもたらされる喜びと愛を歌っているのだと判明した。その時、小躍りして大喜びの雄叫びを実際に上げてしまった。
私がおこなった行為は他人には、異常な行為に見えたに違いない。普段は気難しい顔で考えごとをしていたかと思えば、奇声を上げながら走り回るので躁鬱病≪そううつびょう≫に罹患≪りかん≫していると、施設長、先生方、皆に思われていたらしい。しかし、それが原因で病院に連れられて行った記憶はない。
良く言えば「並外れた個性のある幼児」、悪く言えば「些細なことすら忘れられない偏屈な幼児」だった。悲しいかな、その性向は今でも変わっていない。
小学校に上がるとIQテストはズバ抜けて高かった。皮肉たっぷりに、私を良く知る大人達からは「精神異常者と紙一重の神童」だ、と言われていた。
そんな私は唯ひたすらに勉学に励み、竜宮城に行けるだけの十分な資金と休暇を手に入れる方法だけを、自分なりにあれこれと模索し続けていたのである。
なにぶん、税金と篤志家≪とくしか≫の寄付の世話になっている身分では、進学率で勝る私学に、当然だが入学できず、小、中、高と公立に通学していた。だが、常に学年でトップの成績を修めていた。だから、奨学金のお世話になって、国立大学K大経済学部に現役で無事合格できたのだった。当然、高校を卒業した十八歳になれば、特別な例外を除き児童養護施設を出て、いやでも自立しなければならなかったのだが……。
施設を出た大学の四年間、京都の民家の二階にある四畳半で下宿生活を送った。その民家は京都駅から地下鉄烏丸線≪からすません≫今出川で下車して、東方向の百万遍≪ひゃくまんべん≫にあった。二階にはもう一間あり、その部屋も六畳の部屋であったが誰も下宿していなかった。
一階には、六畳二間、四畳半、洋風のリビング十二帖位、キッチン、六帖位の浴室、トイレがあった。
その家は古来より伝わる手法を用いていた。しかし、その家には決して古典の模倣に終わることなく、構成や色彩に現代感覚を大胆に取り入れた斬新な庭園があった。池には、大きな錦鯉が悠
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