竜宮城に行けた男
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ると、
「当然、四四四四ですわ!」
と、いう返事が即座に返ってきたのだ。
全員に惜しまれつつ異界を後にし、二十一世紀に向かって浮遊を続けながらも、玉手箱を開けたい欲求は増すばかりだった。でも、絶対に開けまいと決心をして、更に未来に向かってタイムトラベルを続けたのだ。
江戸時代の上空にやってきたらしく、眼下には、禿(かむろ、花魁の世話をする少女)、番頭新造(花魁のマネージャー)を連れて引手茶屋まで練り歩いている、三年以上訓練を要したであろう八の字で優雅に歩く花魁≪おいらん≫道中を、わずかな時間見ていた。
江戸時代の上空で辛抱の限界にきた自分を、心の中であれこれ理屈を並べて正当化しながら、半実体である玉手箱をとうとう開けてしまった。その中には、ギリシャ語で「汝何も知らぬことを知れ」とソクラテスの言葉を粘土版に書き記していた。
(実際は、弟子プラトーが後世に伝え残した文だが)
なぜか、時代遅れの白い粘土版とともに、四角いスクリーンのような手鏡が入っている。約、縦二十センチメートル、横五十センチメートルの変な形をした手鏡だ。細かく観察したが、何も変わっている所は、見つからなかった。透明に近い思念だけの私が、同じく透明の手鏡に映らない現象は至極当然ではあろう。そう私は納得したのだ。
四十年〜五十年毎に何度も何度も未来へと進んだ。
やっと、退職届を書いている一LDKに実在している自分自身を上から見た。一体化できればホット胸をなでおろすだろうという思いと、自分自身から離脱して過去で様々な経験をしてきた私の記憶が、果たして保たれるのかという危惧≪きぐ≫で、十分ほど逡巡≪しゅんじゅん≫していた。意を決し自分と一体化することにして、恐る恐る実行してみると、意外にも、アッサリと元の自分に帰ることができたのだ。私にとって二重の記憶を持つことが可能なことに、とても嬉しかった。左手には、あの玉手箱が即自存在――サルトルにとって即自存在とは物それ自体――として存在を許されていたので、早速ふたを開け中にある奇妙な手鏡を覗いた瞬間、理由は不明だが嘔吐を催し狭いバスルーム兼トイレに、慌てて駆け込んだ。苦しい思いをしながら、胃の中が空っぽになるまで吐いたのだ。涙さえ溢れでたほどにとても辛かった。
サルトルは、ノーベル賞受賞者のアルベルト・シュバイツァーの叔父に引き取られ、学問的探究心を刺激された。ボーボワールを事実上の妻にし、実存哲学者として活躍したサルトルは、千九百三十八年に上梓した「嘔吐」における主人公ロカンタンが、木の根を見た時に吐いたのと同じ光景ではないだろうか?
私は十歳の時に、神戸の元町商店街にある書店二階の原書コーナーに足繁く通った。本当は、サルトルの「存在と無」を読みたかった。だが、ただ読みの身では余りにも分厚過ぎるために、「嘔吐
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