竜宮城に行けた男
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た。その光景は、あたかも母親が愛しい息子に童話を読み聞かせているようだっただろう……。
既に私は、平仮名、カタカナ、小学三年生で習う漢字を自由に読み書きできたのだ。しかし、まるで知らない風を装って、彼女が読み聞かせて下さった童話の世界で、自分を主人公になぞらえて物語に熱心に思いを馳せていた。私自身、その時ばかりは母親に甘えているような気分になっていたのだ。池田さんの優しさに包まれて、夢見心地に浸っていたのは確かであった。
池田さんは数多くの日本の童話も読み聞かせて下さった。
それらの中でも室町時代の「御伽草子」に登場する【浦島太郎】の話を、聞いた時だった。まるで雷に打たれたような強烈な衝撃が、私の全身を襲った。同時に、氷塊を背筋に入れられたような、ゾク、ゾクするほどの好奇心を私は幼いながら覚えたのだ。その物語から強烈に漂う至福を伴った印象は、成人しても私の脳の大部分を占拠している。
【浦島太郎】に私自身が変身するのは、天から生れながらに付与されていている宿命だ、と思えた。あるいは、彼になってみたい願望が私の心の奥深くにまで植え付けられた、と考えられる。
私が抱いた願望――それは実際に乙姫様に会うことだった。どんな艱難辛苦≪かんなんしんく≫に遭遇しても必ず乗り越え、竜宮城に辿り着いて乙姫様に会って、幾重にも漆≪うるし≫を塗り重ねた朱色に輝く玉手箱を持って帰りたい。当時から、そう切望し続けていたのだ。たとえ、七百年後の未来にタイムスリップしても、玉手箱を絶対開けない自信があった。
精神病の一種であるパラノイア(偏執狂)が、幼少期より今に至るまで私に宿っているせいかも知れない。想像と憶測を遥かに超えた連綿と祖先よりもたらされた遺伝子に刷り込まれたDNAが、私に及ぼした影響なのだろうか? それは疑問を差し挟む余地がない真実だろう。将来、自分自身が必ず体験する事実になると、幼いながらも明確に確信していたのだ。
毎週日曜日の十時、私達全員と当然ながら先生方も、強制的に施設内にある礼拝堂に集められた。そこで、施設長の欠伸≪あくび≫が出るほど長たらしい説教を聞かされた。その後に、「讃美歌」を唱和させられたのだ。
手垢≪てあか≫で黄土色に汚れ、しかもボロボロになっている聖書を持ち、宗教改革の中心人物となりプロテスタント教会の源流を作ったルターに心酔している施設長の、お気に入りの一節に、百十二番「もろびとこぞりて」があった。
だが、【シュハキマセリ】というくだりが、長い間、幼い私を狂おしいほどに悩ませたのだ。
諸人≪もろびと≫こぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり
悪魔のひとやを 打ち砕きて
捕虜≪とりこ≫をはなつと 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり
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