竜宮城に行けた男
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して建造させた、北山文化を代表する建築である。
一方、義政が建てた慈照寺銀閣≪じしょうじぎんかく≫は、禅宗仏殿に書院造を合わせた建築であり、慈照寺内東求堂≪じしょうじないとうぐどう≫は四畳半の座敷であり、初期書院造と言われ和風建築の原型になっている。だが、鹿苑寺金閣ほどの魅力はなく、魂を揺さぶられないのは、私だけであろうか?
絵画では、筆のタッチが見事で何度も何度も美術館に足を運び鑑賞した、私が惚れ込んでいる雪舟が水墨画を完成させた。狩野元信は、水墨画と大和絵の技法を融合させ、後に狩野派と呼ばれた。狩野永徳が渾身≪こんしん≫の魂を込めて描いた「唐獅子図」は、今にも二頭の獅子がでてきて暴れだしそうな迫力に圧倒される名画だ。狩野派は日本絵画史上最大の画派であり、この時代から江戸時代末期まで、画壇の中心にあった専門画家集団である。室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし、その子孫は織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍……などに絵師として仕えた。あらゆるジャンルの絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼした。
今までいた室町時代から、いきなり鎌倉時代にタイムトラベルしてしまった。
私の能力が一時的に狂ったらしい。半透明の思惟が異常に巻き込まれたらしいのだ。軽いめまいすら覚えた。でも、鎌倉時代にやってきたのだから、この時代を楽しまなければという思いも捨てがたい。鎌倉文化は私が愛する文化の一つである。その特徴は武士や庶民の新しい文化が、以前からあった貴族文化と拮抗した、文化の二元性にある。作風は一般に素朴で質実だ。
勅撰集では新古今和歌集が有名であり、随筆では徒然草、方丈記。軍記物語では平家物語、保元物語、平治物語、源平盛衰記等が有名である。説話集では宇治拾遺物語、十訓抄、古今著聞集……など数え上げれば、それこそ「夜になってしまう」
平安時代までの難解で大衆に対して布教が禁じられていた仏教を、変革する運動として鎌倉新仏教の宗派が興隆した。鎌倉新仏教として代表的なのは、法然が説く浄土宗、親鸞が説く浄土真宗、栄西が説く臨済宗、道元が説く曹洞宗、日蓮が説く日蓮宗だ。
私にとってどうしてもすっきりしないのは、弟子・唯円が親鸞の教えを記録した書である「歎異抄」にある一文である。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という文章だ。
これは浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想であり、悪人正機説として良く知られている。つまり、仏が救済するのは「悪人」なのである。だが、どうして、普通の人間である善人より悪行をして反省し悔いている悪人が救われるのか、私にはとうてい理解し難い。まだまだ私の精神修行が足りないのかなぁ。
ともあれ、私の意識は室町時代を目指しタイムトラベルを続けた。やっと目的の時代らしき空間に辿り着いたのだ
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