竜宮城に行けた男
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た。
江戸末期から明治の初めにかけて流行した、多分、オッチョコチョイ節だと思われる歌が、どこかの料理屋より聞こえてきた。男のさびのきいた声で、
「猫じゃ、猫じゃとおっしいますが、猫が杖ついて絞りの浴衣でくるものか、オッチョコチョイノチョイ」
と、歌うのを途切れ途切れに聞いただけにして、江戸時代までタイムトラベルした。
千七百三年十二月十四日、厳しい冷え込みが周囲を静寂にしていている。満月であるために明るくて個々の家が眼下に見えるので、すぐに吉良屋敷を探すことができた。私はその屋敷の約二十メートル上空に浮かんでいた。赤穂浪士遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士、四十七士の活躍をこの目で見たかったのである。赤穂浪士達が成し遂げた主君の仇討ちは、曾我兄弟の仇討ち、伊賀越えの仇討ちと並んで「日本三大仇討ち」に数えられる。
主君が殺害しようとして失敗した吉良上野介≪きらこうずのすけ≫を、家人や警護の者もろとも殺害した一部始終を、私は瞬き一つしないで最後まで見届けたのだ。鮮血が飛び散り敵味方入り乱れて、鬼の形相で槍や刀を振り回す姿は目をそらしたくなるほどに残酷である。まさに地獄絵図だ。しかし、彼らの仇討の行く末を思うと、TVで観ているような気軽さはなく、むしろ、暗澹≪あんたん≫とした思いに駆られた。
切腹なんて、とても、とてもできないヤワーイ自分に、この時だけは劣等感が重く覆いかぶさった。武士だったとはいえ、果たしてこれほどまでに一途になれるのだろうか?
(この時に、雪が降っていたというのは、『仮名手本忠臣蔵』の脚色である)
しかし、主君の仇打ちに加わらずに刀を鍬≪くわ≫に持ち替えて、細君、家来達の行く末のみ案じ、家を守った赤穂藩士こそ、勇気ある行動をとったと称賛すべきではないだろうか? 卑怯者と馬鹿にされ続けた生涯を生き抜いた彼等こそ、私には真の武士道精神を体現したと思うが、どうであろうか?
悲しくて暗いできごとを忘れようとして千七百六年にタイムトラベルした。
昼間のせいだろう、どこからか三味線の音色とともに新浄瑠璃や長唄が聞こえてきた。でも、音曲≪おんぎょく≫にはまるで興味はない。そこで、尾形光琳作「紅白梅図屏風」、俵屋宗達作「風神雷神図」、「蓮池水禽図」、菱川師宣≪ひしかわもろのぶ≫作「見返り美人図」、「歌舞伎図屏風」……など国宝級の名画を、心当たりの場所を苦心惨憺≪くしんさんたん≫して捜した。ところが、残念ながらお目にかかれなかった。一体どこに収蔵しているのだろうか?
仕方ないので何の目的もなく、ぼんやりと江戸の町の上空に浮かんでいた。すると、店先に多くの版画らしき絵があり、着物姿の若集や、かんざしを挿した女性達が黄色い声を出しながら群がっていた。私は下降して確かめと、なんとそれらの版画は繊細で優麗な描線を特徴
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