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竜宮城に行けた男
竜宮城に行けた男
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めて、子供でも分かるようなわざとらしい作り笑顔をしていた。施設長は貧相で痩せて眼だけが大きく、まるで【死神】のような雰囲気を醸しだしていた。施設長は【死神】がするだろうと思える仕草をして、百四十四名の一歳から十八歳までの親と世間から捨てられイジケてる私達に向かって、いつも切々と自分なりの感情を込めて説いていた。
「必ずや、あなた達には薔薇色に光り輝く未来が訪れるから、くれぐれも悲観しないようにしなさい!」
 だが、その風貌から発せられる説教には真実味に欠けているという事実を、全く自覚していない哀れなオジサンにしか見えなかったのは、私だけではなかっただろう。
 日光を浴びて銀色に光輝く滑り台に上がると、空気が澄んでいる時には淡路島の家々が、まるで手に取れるように一望できるのだ。そのことは、孤児の烙印を押された私が味わう施設内での辛さと世間の白い眼からか逃れられる、唯一無二といって良いくらいの大いなる救いだった。滑り台の上からだと、明石海峡を航行する船舶がまるでオモチャのように見える。それらの船の船長になった積りでタンカーや貨物船等を操船している気分になることも、たびたびあったのだ。
 深い青色に染まった海、緑の淡路島と澄明なライトブルーの青空が見せるコントラストに、幼い私の心はいつもいやされたのだった。
 後で知ったのであるが、当時、全国で養護施設は約六百あり在所児は約三万人であった。約六割子供達が親はいるものの養育不可能のケースが占めていた。最近では虐待が原因で親から離され止むを得ず入所している子供達も、増加の一途を辿っているようだ。

 それから一年後、私の年齢が三歳に達した頃だった。
 目の中に入れても痛さを感じないほど、他の児童以上に大変可愛がって下さった三十四歳になる保育士さんと、私は仲良しになったのだ。既に結婚していて、我が子の世話に追われているのが、当然だと思える年齢だ。その保育士さんは黒縁メガネをかけていて、顔中がソバカスだらけであった。どちらかと言うと不美人の部類に属していた。結婚で得られる幸せよりも働き甲斐≪はたらきがい≫を選択し、そのことを自分自身の信条にしていたのかもしれない。いずれにせよ、今流に表現すれば、明らかに「負け組」に属していたのである。彼女は骨に皮が辛うじてへばり付いているかのように、ギスギスに痩せていていた。神経質そうに黒縁メガネを絶えず上げている池田さんという女性だった。
 人間というのは、何て残酷な生き物だろう……。あれほどまで愛情いっぱいに可愛がってもらっていて、膝の上で私を夢見心地にさせて下さった彼女を酷評するなんて! そんなことを可能にする自分自身のメンタル面があるのを、非常に情けなく思っている。
 そんな彼女がありとあらゆるジャンルの世界中の童話を、手振り身振りをして面白おかしく読んで下さっ
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