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ドリトル先生と春の花達
第十一幕その七
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 このことは先生と同じですが。
「その心にはいつも野球があるんだ」
「そういうことだね」
「イギリスのサッカーマニアの人達ってことね」
「時としフーリガンにもなる」
「あの人達ね」
「そうだよ。彼等はね」
 まさにというのです。
「常に心が野球にもあるから」
「和歌にも野球を入れる」
「そうなるのね」
「そういう和歌もあるんだ」
「和歌って幅が広いね」
「そうだよ、一歩間違えたら川柳になるけれど」
 和歌と川柳は違うにしてもというのです。
「あの子達は和歌を詠っているみたいだね」
「ううん、野球の和歌ねえ」
「平安時代にはなかったけれど」
「そうした和歌もあるんだ」
「いい勉強になったわ」
「和歌も時代によって変わるからね」
 だからとお話する先生でした。
「昔は矢とか馬とか蹴鞠も入れてたよ」
「平安時代のスポーツね」
「その時に行われていた」
「そうだよ、だから野球があってもいいけれど」
 それでもというのです。
「あの子達はかなり真剣だね」
「というか二人共一首一首凄い速さで詠ってるし」
「小学生の娘まで」
「よっぽどそれぞれのチームに思い入れがあるのね」
「阪神と広島に」
「それがわかるよ、というか兄妹で応援するチームが違うと」
 それならとも思う先生でした。
「厄介なことにもなるね」
「また言い合ってるしね、二人で」
「聞こえるよ、阪神が優勝とか昨日負けたでしょとか」
「お決まりのやり取りね」
「何ていうかオーソドックス?」
「日本でもどの国でも」
「そうだね、まあ兄妹仲は悪くないし」
 見ればその距離は近いです、二人並んで座っています。
「言い合っても本気で怒ってないしね」
「というか何処か寛大?お互いに」
「相手のチームに対して」
「昨日勝ち負けになったけれど」
「それでも」
「あれも特徴だね」
 先生はまた言いました、またお茶を飲んでから。
「阪神ファンと広島ファンの」
「他のチームには寛大だね、そういえば」
「巨人以外には」
「巨人に負けたら凄く怒るけれど」
「どっちのチームのファンも」
「まあ巨人は悪だからね」
 先生が見てもです、このチームは戦後日本のモラルの崩壊を象徴し邪悪の限りを尽くす存在なのです。
「嫌うのも当然だよ」
「いや、そうだね」
「巨人は話が別だね」
「だからあの子達も若し巨人だったら」
「あんなに何処か和気藹々としてないね」
「お互いに寛容じゃないわね」
「いや、何か阪神ファンも広島ファンもね」
 ホワイティが言うには。
「お互いには本当に寛容だよね」
「負けてもそんなに怒らないのよね、お互いに」
 ポリネシアが見てもそうです。
「それが巨人には別で」
「というか巨人への感情凄いよ」

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