第五章
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「六十六試合に登板して四十勝」
「投球イニングが五二七回ね」
「凄いだろ」
「これをずっとやってたんだ」
「ああ、ずっとな」
「それで身体が壊れなかったんだね」
僕はその資料を読みながら呆然として言った。
「凄過ぎるね」
「戦前の選手は三十年代の選手より頑丈だったみたいだな」
「あっ、そういえば」
ここで僕はあることに気付いた。その気付いたことはというと。
「戦前はまだ医学が発達してなかったから」
「医学が?」
「新生児の死亡率も高かったし」
これはその通りだ。戦前の作家の経歴を見ているとよく兄弟や子供が死んでいる。島崎藤村の姉達も夭折している人が多い。
「それに成人してもね」
「多くの病気があったな」
「結核だって不治の病だったしね」
「頑丈じゃないと生きられなかったんだな」
「今よりずっとね。それに車も殆どなかったから」
僕はこのことにも気付いた。
「それに冷房や暖房も」
「身体を動かして暑さや寒さを我慢して」
「だから。昔の人は今より丈夫だったんだよ」
それも時代が下るにつれてだ。そうなることだった。
「それが成績にも出ていたんだよ」
「丈夫だからか」
「うん、これだけ投げられたんだよ」
「それで鶴岡さんや三原さんの現役は戦前だからな」
そのスタルヒンや野口が活躍していた頃だ。
「スタルヒン達の活躍をその目で見ていたからこそ」
「稲尾や杉浦もそうして投げさせたんだね」
「あの人達にとってはそれが普通だったんだな」
戦前の様にエースが殆ど常に投げている状況、またエースもそれだけ投げても何年も続けられる時代に現役だったからこそ。鶴岡にとっても三原にとってもそれが常識だったのだ。
だが、それでもだったのだ。
「けれどな」
「うん、それでもね」
「戦前と三十年代じゃ選手の頑丈さが違っててか」
「稲尾や杉浦でもね」
その為だったのだ。
「怪我をしたんだよ」
「肩とかを壊していったんだな」
「で、今は昔よりも医学が発達して車もあって」
身体が弱くても生きることができ身体も昔よりは遥かに動かさずに済む時代、その時代で生まれ育っているからこそ。
「頑丈じゃなくなってるんだよ」
「だから先発で連投も無理になったか」
「いいか悪いかは別にしてね」
そうなっているといると。僕は彼に言った。
「そういうことなんだよ」
「成程、そういうことか」
三十年代のエースの連投は戦前のままでそして故障は戦前の選手ではなくなっていたからだ。
そして今もだった。時代が変わっていったからこそ。
連投の時代ではなくなっているのだ。野球が変わったと共に。
そ
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