第五章
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「生活出来るだけのお金はあります」
「しかも母が言いましたが父の遺産もありますので」
「そのお金はいりません」
「受け取ることはいいです」
「やはり私達も受け取る資格はないので」
「そのお金は」
富岡の最後の芸術作品のそれはというのだ。
「父を疎み逃げました」
「そうしましたので」
「それは私も同じですので」
また育子が言った。
「受け取られません」
「そうですか」
「はい、ですからお金のこともです」
「私に、ですか」
「お任せします」
松坂に少し俯いた顔で述べた。
「そうさせて頂きます」
「左様ですか」
「是非その様にお願いします」
「そこまで言われるのなら」
松坂は一旦その目を瞑目する様にして閉じてから育子に答えた。
「そうさせてもらいます」
「では」
こうしてだった、富岡が自らをそうさせた銅像とその銅像を然るべき場所に置いた時の報酬の件は彼に一任された。
すぐにフランスのある有名な美術館から高額で買い取りたいとの話が来て彼もそれに応じて取引をしてだった、銅像を預けた。
そしてその時の報酬は。
「寄付されたのですか」
「はい」
富岡の遺族の家を訪問して一部始終を話してだ、松坂は育子にそのことも述べた。
「そうさせて頂きました」
「貴方が受け取ってもよかったのですが」
「私の作品ではないので」
「だからですか」
「はい、受け取りませんでした」
「そして寄付をされたのですか」
「そうです」
まさにというのだ。
「そうさせて頂きました」
「左様ですか」
「はい、そうしました」
こう答えたのだった。
「私は」
「そうなのですか」
「先生の作品であったのですから」
「そしてその作品は今はフランスですか」
「あの国の奥様もご存知の美術館にです」
「ありますか」
「そうです」
まさにというのだ。
「そうなりましたので」
「わかりました」
そのこともとだ、育子は松坂に答えた。
「ではその様に、それで」
「それでとは」
「これまでお聞きしていませんでしたが主人は最後どうしていましたか」
「最後まで芸術に心を向けられていました」
「作品を創るその時までですね」
「そうしていました、そしてです」
そのうえでというのだった。
「芸術家として亡くなられました」
「最後の最後までですね」
「そうでした」
こう育子に述べた、そしてだった。
育子は遺族を代表して松坂に礼を述べ松坂は家を後にした、それから彼は芸術家ではなくその誠実な人柄と学識を買われある芸術大学に招かれそこの講師果ては教授となり人生を過ごした。富岡の弟子としてよりもその立場で生きていき遺族達もそれぞれの人生を平凡に送った、彼とは違い。
銅像 完
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