115章 信也が連載マンガの主人公になる
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「しんちゃんって、いま、26歳ですよね。
でも、こうやってお会いしていても、時々、16歳みたいに感じちゃうときがあるんですよ。
それって、なぜなんでしょうね!失礼な言い方で、ごめんなさい」
「失礼だなんてことないですよ。あっははは。
おれなんか、15や16歳のころの、感受性が1番に鋭くって豊かなころが、
おれにとっては、1番に人間らしい生き方をしていたと、いまでも感じているんですよ。
それだから、若く見られたって、それはたぶん、自然なんですよ。あっはは」
「はぁ、その考え方って、しんちゃんの哲学ですよね!すごいと思います!ぁっははは」
「そういえば、18世紀に生きて、56年間の生涯の哲学者の、
フリードリヒ・ニーチェがこんなことを言っているんですよ。『人の物の見方は、
人それぞれに違う。なぜなら、立場が違えば、見方は変わるし、その人の欲望でも、
ものの見方は変わる』ってね。こんな当たり前のようなこと、実は、15歳のおれでも感じていたけどね。
でも、ニーチェって人は、その15歳の感受性で、生涯、人生について考え続けた人だったんですね。
おれは、そんなニーチェに共感するんですよ。
自分の感性に誠実で、世の中の権威や価値観に反抗するところなんかは、
まるでロックンローラーの精神の元祖みたいですよ。あっははは。
こんなものの見方から、ニーチェは、『<物事には本質がある>という考え方は絶対ではない』とか、
『真理は何でもって証明されるのか?・・・要するに利益(つまり、わたしたちに承認されるためには、
真理はどのような性質であるべきかという前提)でもってである』とか言っているんですよ。
ニーチェの『神は死んだ』という言葉は有名ですが、ニーチェは、彼独特の、ものの見方から、
これまで絶対的な価値だとしていた宗教とかを、徹底的に批判したりしたわけです。
しかし、これまでの価値観を否定する態度は、ニヒリズムといわれていて、
確かにニーチェのような徹底したニヒリズムには、むなしさや暗さや虚無感を感じますよね。
ねえ、心菜ちゃん。あっははは。でも、ニーチェは、このニヒリズムを徹底させたその先に、
見えてくるものを『永遠回帰』の世界として詩に表現したんですよ。
ニーチェは『今のこの瞬間が永遠に回帰するって言うんです。
回帰って、1周してもとへもどるってことですよね。あっははは。
時間が流れることには意味がないって言うわけです。このおニーチェの考え方は、
キリスト教的な時間のイメージとは正反対なんですよ。キリスト教では、天地創造があって、
人類の進歩があって、ゴールに向かって、よりよく生きて、その歴史が終わるとき、
すべての人は審判を受けて、善人は神の国に
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