ヘリコプター解説(日本編)1
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のヘリが解放戦線の重機関銃や迫撃砲によって撃墜されるという大損害が発生している。この時は、
アメリカ空軍による支援で事なきを得たが、これを戦訓とし、アメリカ空軍は武装ヘリ・ガンシップへの過度な依存は危険であると強く指摘した。
また、武装ヘリコプターはその武装や装甲故に速度が低下し、護衛すべき輸送ヘリコプターに追従できなくなる事態も発生し、運用に困難な面が多発し始める。
よって、本格的な武装(攻撃)ヘリコプターの導入が急務である事は明白であったが、アメリカ陸軍が入手可能な攻撃ヘリは当面存在しなかった。しかし、UH-1Bの多彩な兵装システムは、その後登場する本格的な攻撃ヘリコプター(AH-1G)の開発に大きく寄与する事となる。
1961年3月より、陸軍は改良型のモデル 204BをUH-1Bとして運用しはじめた。これは、UH-1A(モデル 204)をもとに胴体を延長し、ローターブレードを53cm幅に大型化するとともに、
より強力なエンジンを搭載したものであった。これにより、
基本となるスリック型においては、兵員7名か担架3台、貨物であれば1360kgを搭載できた。また、ベトナムにおいては自衛用としてドアガンも装備するようになった。もっとも広く使用されたのがいわゆるサガミ・マウントで、これはキャビン後部にM60D 7.62mm機銃を各舷に1丁ずつ装備したものであった。なお、この名称の由来は不明であるが、このシステムが相模総合補給廠で製作された可能性が示唆されている。
UH-1Bではスリック型以外にガンシップ型も製作され、これは1962年11月にUTTHCOに配備された。UH-1Bガンシップの艤装はメーカーによる本格的なものであり、
XM156ユニバーサル・マウントが胴体後部に装着されていた。
このマウントには当初、XM6Eアーマメント・サブシステムが取り付けられていた。M6サブシステム(1963年5月に制式化)は、片舷あたり2丁のM60C機銃を油圧駆動の銃座に装備したもので、しばしばMk4 FFARロケット弾のMA-2ポッド(2発)と組み合わせて搭載された。
副操縦士が射手として光学照準器により遠隔操作したが、
機銃が前方正面を向いているときは、
機長もロケット弾用照準器によって射撃することができた。1963年末からは、M6サブシステムにFFARのXM157ないしXM158ポッド(7発)を組み合わせたM16サブシステムが開発され、
初期のUH-1Bガンシップの標準装備となった。また、1963年には、FFARを片舷あたり24発(横4列×縦6列の直方体型ポッド)収容したXM3サブシステムが登場した。
XM3サブシステムは、
一度に480ポンド (220 kg)の高性能爆薬を投射可能という強力な火力投射
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