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何も覚えていなくても
第三章

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 そしてだ、暫くしてだった。
 健一は同級生の噂好きの者にだ、老人のことを教えてもらった。彼が今でも老人と時々話をするのを見てだ。
「あの人もう百十歳だっていうな」
「いや、百十一歳じゃないかな」
「凄い長生きだな」
「そうだよね」
「あの人昔凄い苦労したらしいしな」
 ここでこう言ったのだった。
「若い時は」
「何があったの?」
「戦争あっただろ」
 第二次世界大戦のことである。
「あの人それでシベリアに抑留されたらしいな」
「ソ連、今のロシアに」
「ああ、満州で捕虜になってな」
「満州っていうと」
「ソ連軍が攻めてきて滅茶苦茶やっただろ」
「それ確か」
 健一も知っていた、この話は。 
 それでだ、こう彼に言ったのだった。
「条約破って攻めてきて」
「もう殺すわ奪うわでな」
「やりたい放題だったんだね」
「ソ連軍相当酷かったらしいからな」
「その状況を見てだったんだね」
「捕虜になってな」
 そうして、というのだ。
「シベリアでな」
「あんな寒い場所で」
「碌に食いものもない中で重労働させられてたんだよ」
「大変だったんだね」
「そこでかなりの人が死んだらしいな」
 そのシベリア抑留でだ、六十万程が抑留されたが十万が命を落としたという。
「そうしたのも見てな」
「日本に戻ったんだ」
「それでな」
 日本に戻ってからもというのだ。
「警官やってたらしいけれどな」
「へえ、あの人警官だったんだ」
「それで何度も怪我したり凶悪犯とか学生運動とかの相手もしてな」
「大変だったんだね」
「火事場に飛び込んでばかりだったらしいな」
「じゃあ人が死ぬ場所とかも」
「相当見てきたみたいだぞ」
「そんな人だったんだね」
「だからな」
 それで、というのだ。
「色々苦労してきた人みたいだな」
「そうなんだね」
「あの人昔のこと言わないけれどな」
「何も覚えていないって言ってるよ」
 老人はとだ、健一は彼に話した。
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