5部分:第五章
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公爵はリゴレットとは全く正反対にいる人物です。ヴェルディはあえて音楽的にもそうしたそうです。その彼に娘が手篭めにされるのです。
リゴレットは最初何とか娘の行方を探ろうとします。道化師である為わざと笑みを作りながら宮廷で貴族達にこれとなく尋ねます。しかし彼を憎む貴族達は彼を完全に拒絶します。何も言おうとはしません。リゴレットは精神的に次第に追い詰められ遂にこう叫びました。
『ジルダはわしの全てなんだ!』
その全てである娘を手篭めにされたのです。リゴレットにとってこれがどれだけ惨い仕打ちであったことか。彼はここから公爵に対して復讐を誓いますがその公爵を愛していたジルダが彼の身代わりになって殺されてしまってです。結果として全てを失ってしまいました。最後に残ったのは娘の亡骸を抱いて泣き叫ぶ父親の姿だけでした。
リゴレットの場合はいじめは最初リゴレットがしていると言えます。そして貴族達にいじめ返されると言うべきでしょうか。ヴェルディのオペラの特徴として差別されている側にスポットライトを当てているということがあります。『トロヴァトーレ』ではジプシー達が出ていますし先程名前を出させてもらった『椿姫』ではヒロインのヴィオレッタは娼婦です。『ドン=カルロ』ではフランドルへの抑圧が背景になっています。『アイーダ』ではタイトルロールのアイーダは敵国の王女です。『ナブッコ』ではバビロン捕囚が作品の舞台でありバビロンにおいて虜囚となっているヘブライ人達が出ています。『オテロ』の主人公オテロはムーア人、つまり黒人です。他にも権力闘争や階級闘争等があったりします。『マクベス』『シモン=ボッカネグラ』等がそれです。その中でリゴレットは抑圧された非差別者、人の心を踏みにじるいじめをする存在としてその中でもかなり独特のキャラクターです。その彼は結局全てを失ってしまいました。ミンチン先生も彼のようになってしまった危険は充分過ぎる程ありました。リゴレットでは主人公に救いの光はありませんでした。あってもそれに気付ける人でもなかったですし気付く機会もありませんでした。それで結果として全てを失ってしまったのです。ミンチン先生は流石にリゴレット程歪な人間性ではないと思います。リゴレットを見ていて他人の不幸を嘲笑った人間がそれに相応しい末路を迎えたに過ぎない、だがそう言い切れる人間は相当冷酷な人間だ、と言った人がいます。僕は『人間・失格』ではかなり冷たく、突き放した見方ができますがそれでもこのオペラについてはそれは言えません。そう言えるにはあまりに陰惨で悲惨なものがあるからです。大場衛は息子を信じられませんでした。しかしリゴレットは娘を何処までも愛しています。同じ復讐でもそこに大きな違いがあると思います。大場衛は自分が悔やんでいる通り最低の父親です。しかしリゴレットは少なくとも父親としては心優
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