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その影は、ただ一人暗い廊下を歩いていく。
明かりは無い。廊下の窓から見える空は黒く、淡く仄かに輝く月の光だけが影の行き先を僅かに照らしてた。しかし、その光も消え去った。影は立ち止まり、窓へと近づき空を見上げる。
雲が月を覆っていた。風の無い夜である。影はこの闇は長く続くのかと嘆息を漏らした。
影はまた窓から離れ、廊下を一人歩いてく。
周囲には影の足音と手に持った袋から鳴る音以外何一つ無く、深海の奥に迷い込んだような深蒼の夜は、見るものに死後の世界を錯覚させる。だが、影はゆっくりと歩くだけだ。
まるでその世界の王――否。
「あら、意外と早くに雲が動いたのね」
女王の様に。
雲の払われた夜空は再び月の明かりを取り戻し、その幽雅な灯りは影を照らした。元軽巡洋艦、現在は兵装交換によって艦種変更し、重雷装巡洋艦となった大井である。
特別海域の切り札。と多くの提督達から信頼を寄せられる3人しか居ない重雷装巡洋艦娘の一人だ。この鎮守府でも多分にもれず、大井という艦娘は要の作戦行動となると殆ど第一艦隊、または連合艦隊に参加していた。
最近では準重雷装巡洋艦娘とも言うべき軽巡洋艦娘の登場により、少しばかり出番は減ったが、それでも提督にとっての準レギュラーメンバーである。
「ふふふふ……」
大井は何かを思い出したのか、口元に手を当てて淑やかに微笑んだ。見る者が居たら、さぞ驚いただろう。そしてさぞ慄いただろう。その相は淑やかでありながら、穏やかでありながら、目に強烈な情がこもり過ぎていたからだ。
――あぁ、楽しい。
楽しくは、無かった筈だ。彼女の"前"は、楽しくなど無かった。軽巡洋艦とはして凡庸で、練習艦として未来在る少年達を死地に送り込んだだけだ。そして大井自身もまた――
それでも、大井は今微笑んでいた。
窓からさしこむ柔らかい光が照らす、その廊下に、大井の影と僅かな音、そして音楽が加えられた。奏でたのは、もちろん大井だ。彼女は鼻歌を奏でて歩いていく。ただ、ただ歩いていく。脳裏に過日を思い出しながら。
彼女、大井は艦娘になっても、やはり平凡な軽巡洋艦娘でしかなかった。姉妹艦達、そして戦友達と再び見えた事は喜べたが、それだけだ。ネームシップの姉が戦場で活躍し、他の仲間達が戦果を挙げるたび、大井の胸は喜びと苦しみで乱れた。
もう一度与えられた命である。しかも、何の因果か人型で。今度こそ、今こそ何かが出来るのだと大井は信じていた。それを仲間達は証明し、彼女は証明できなかった。その嬉しさと苦しさは混ざり砕け乱れ溶けて、やがて狂った色で鈍く光る一振りのナイフに形を変え、大井という艦の古傷をえぐり、大井という少女の心を削った。
だから、彼女は北上に依
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