21話
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出身者で、第二次ネオ・ジオン抗争後のネオ・ジオンに参加したのもつい最近のエイリィは、こうした場所があるのは知らなかった。
あぁ、でもそうかと納得した。サントの家の人々はキリストの教えにコミットしていた。食事前にも祈りを捧げていたことを、エイリィは思い出した。
「私はよくわかりません」
その偶像を眺めたまま、マリーダは控えめな声で言った。
「何故人々は神に頼るのでしょう? 神なんているはずもないのに」
隣に並ぶエイリィに半身を向けたマリーダの瞳が真っ直ぐと見抜く。
20世紀から始まり、宇宙世紀現代。無神論を語る人間は嘲りと共に神を侮蔑する、あるいは神などと言う存在を荒唐無稽なものとしか見なさない人間が主流と言って間違いない。だが、マリーダの眼差しはそういう短慮な類のものではなかった。
こういうのは、自分の役目ではないんだけどなぁ。思いながら、エイリィは像を見やった。
マリーダはまだあの家に住み始めて長くない故に、無暗な質問を信仰者に尋ねるのは憚れるのだろう。もちろん、信仰を持つ人に何故神を信じるのかと尋ねるのは、それはそれで有意義な会話になるのだろうが。
「あくまで私の考えだけど」前置きしたエイリィは、ボロの長椅子の手すりの部分に腰掛けた。
「存在の不安さに対する一種の答えなんじゃないかなぁ、と思うんだけど」
「存在の不安さ?」
「まぁなんて言うのかな。人間は究極的に何故の答えに答えられない生き物なわけじゃない。科学にしたって歴史と共に発展しているけど、何をもって完成したと言えるのかはよくわからないし、そもそも科学は真理を見つける学問じゃないし。倫理学とか正義論を持ち出したらいっそうわかりやすいだろうけど、メタ的な視点では人は絶対に答えを得ることはできない。突き詰めてしまえば人は確かな足場を得ることなんてできやしない。でも、何か頼るものが欲しい。立脚点が欲しい。世界を説明する手段が欲しい―――だから人は神を作り出して存在の基盤を固めようとしたんじゃないかな。神話は世界生成のためにあるとは言われているけど、その根底にあるのはやっぱり、わからないものをわかって安心しようとする努力なんじゃない、かな。確か日本の鎌倉仏教にそういうのがある―――と思ったり」
「科学と同じ?」
マリーダが眉を顰める。
「神は人格的だと思うとわかりにくいけど、例えば古代ギリシャのとある人は、神が人間の形をとっているのは我々が人間だからで、例えば馬が言語を持ったら神は馬だと言うだろうみたいなこと言ってたし。そもそも例えばi×i=(e^π )^iみたいな数式こそ神の存在だということも十分だと言えるかもね。まぁ私の意見でしかないし、科学者と神学者に胸を張って言えることではないけれど」
口元に手を当てたマリ
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