6部分:第六章
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第六章
「もう二度と来ねえよ」
「こんな泥みたいなもんよ」
「左様ですか」
そうした言葉を聞いても娘の落ち着きは変わらなかった。ここまで来ると江戸の娘にはどうしても思えない程であった。
「それはまた」
「何だよ、何も言わねえのかよ」
「来ないつってんだけれどよ」
「それはわかっています」
穏やかに返すだけの娘であった。
「それではまた」
「だから二度と来るかつってんだろ」
「誰がよ」
彼等はこう言い捨てて勘定を払ってそのまま帰った。確かにこの時は二度と来るものかとは思っていた。ところが一週間後には。
「いらっしゃいませ」
「おうよ」
「暫く振りだな」
留吉と磯八だった。二人はいささか憮然とした顔でまた店に来ていたのであった。
「ちょっとな。また飲んでみたくなってな」
「仕方なくな。来たぜ」
「わかりました」
「やっぱり驚かねえな」
二人がまた来ても特に驚いた様子のない娘を見て留吉はそこに合点がいかなかった。
「何でだよ。来ないつったのによ」
「皆さんそう仰いますから」
「皆もかよ」
「はい。皆さん一度はこんなもの飲めるかと仰います」
「それが俺達なんだけれどよ」
「なあ」
顔を見合わせて言い合うのであった。
「それでもよ。何かな」
「また飲みたくなってよ」
「それも同じなのですよ」
これが娘の言うことであった。
「そうは言ってもまた。それからまた」
「何度も来るっていうのかよ」
「皆が」
「そういうことです。そして馴れれば皆さん美味しいと仰るんですよ」
「成程」
「そんなもんか」
「それでは宜しいでしょうか」
また言う娘であった。
「珈琲お一つずつですね」
「ああ、そうさ」
「それじゃあな」
「珈琲二つ入りました」
最後に娘の明るい声が店の中に響く。明治がはじまって間も無くの。その騒がしい時代の一場面である。誰もが新しいものを前にして騒ぎ戸惑いそして楽しみ。その中でこうして珈琲も飲まれていたのであった。このようにして。
珈琲 完
2008・12・10
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