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資料 恋姫時代の後漢
資料 恋姫時代の後漢
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元々複数の郡を監視するための単位。
 州の長は刺史。前漢時代に監視官として制定された役職だったが、時代が進んで何故か行政権を得ていった。名称が時代によって「牧」と「刺史」とでころころと入れ替わったのも特徴。後漢末期には刺史(四品官)に軍事権を持たせた牧(三品官)も登場した。
 郡の長は太守(四品官以下)。以下、次官が丞(八品官)、軍事担当が都尉(五品官)。皇帝の親族が太守になると王(四品官以下)や公(四品官以下)と呼ばれた。王や公は洛陽に残ることが多く、王を補佐する王国相、公を補佐する公国相が実質的な太守だった。
 県の長は県長(六品官以下)。以下、次官が丞(八品官)、軍事担当が県尉(九品官)。この辺りは汚職の巣。なお、県の人口が1万を超す場合や辺境で異民族の侵攻が激しい場所などに限り、長は令=県令(六品官以下)と呼ばれた。皇帝の親族が県長や県令になると侯(六品官)と呼ばれた。侯の補佐は侯国相。
 ここまでは品官公職。以下は品外の官。

 県の下には一つから複数の『郷』や『亭』が集まり、その下には複数の『里』が集まっていた。里は100戸程度の農家が集まった集団。
 有秩、嗇夫は郷の長。郷佐は徴税を担当。大きい郷は有秩、小さいものは嗇夫が置かれた。ただし、実質的なまとめ役は三老。里魁、里正は里の長。
 亭長とその補佐の亭吏は、やくざ者がなった。

 郷や亭の中心には『市』があり、交易や商売はここで行われた。『市』は自然発生したものではなく行政により管理されていた。そのため、罪人の処刑も市で行われた。
 漢以前の戦国時代では、集落は基本的に城塞都市であり、これを邑と呼んだ。邑の中は里ごとに堀や塀で区分けされていた。住民は朝になると城門を出て畑仕事をし、日が暮れるとまた門の中に戻るという生活をしていた。城門の通行はもちろん、里と里の行き来ですら夜間は禁止である。
 戦国時代までは平民は邑の中でしか暮らしていなかったが、漢の時代には貧しい者は城壁の外に家を構え、より遠くに田畑を持った。
 邑は元々は氏族が一纏まりになって生活していたため異姓の者は排除された。しかし、漢の頃には徐々に異姓の者も受け入れられるようになっていたようだ。





 10.ゲームシナリオと演義

 地名・人名が異なる、(郡)太守であるべきところが(州)牧など、史実と異なる表記は""で囲った。ゲームに準じている、つもり。史実と異なる出世具合などは無視した。

 原作蜀ルートの流れ
 一章.幽州"啄"郡、五台山に一刀が出現。桃園の誓い。
 二章.太守、公孫"賛"のところへ。趙雲と出会う。賊退治。
 三章.黄巾の乱勃発。諸葛孔明、"鳳"統と出会う。曹操らと出会う。
 四章.黄巾の乱終結。劉備、平原"相"に。六章開始時までに平原"牧"になる。

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