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資料 恋姫時代の後漢
資料 恋姫時代の後漢
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江夏での風速は年平均6.6メートル。

 幽州遼東郡を支配した公孫度が、遼東半島から対岸の山東半島にある青州東?郡を水軍で襲撃したという記録がある。また、同じく山東半島の青州東?郡は、山東半島の北岸から北(遼東半島方面)に伸びる廟島諸島を拠点にした海賊被害に長らく悩まされた。

 長期の水上生活で問題となる栄養素の不足については、船上、船内に小さな畑を持ち、もやしなどの植物、アヒルなどの動物を育てて補ったとされる。

 数百年ほど後世の話になるが、船は一人の商家では持てなかったため、共同出資で所持する例が多かったようだ。



 最後に、当時の軍勢の行軍速度。
 恋姫のゲーム内では50里(謎の単位)を1週間程度、1日あたり7里くらいが常識的な行軍速度であるようだ。ゲーム内での地名を現実の地図に当てはめれば1日30q程。恋姫の里は日本史の里なのだろう。
 同時代の古代ローマ帝国やマケドニアでは1日25qの行軍が基準とされ、輜重隊を置き去りにした特別編成では1日60から80qほどの行軍が可能だったとされる。

 強行軍、追撃戦で知られる行軍例では、紀元前331年のガウガメラの戦いで8割が歩兵で構成されたマケドニア軍5万が、敵対するペルシア軍歩兵20万と騎兵約5万を打ち破った後、朝まで90qに渡って追い立てている。鬼畜。
 共和政ローマとカルタゴの間で起きた第二次ポエニ戦争の中期、紀元前207年、ヒスパニアを巡るメタウルス川の戦いでは、ガイウス・クラウディウス・ネロに率いられた精兵ローマ軍歩兵6千と騎兵1千がプーリアからアリミヌムの南まで約800qの道のりを1日100q以上で進軍。ただしこの時は、整備した街道を、壮健な兵士を選抜し敵の目を盗み夜間に出発、極限の軽装で糧食さえ持たず通過する街で補給、寝る間も惜しんで行軍している。史上稀に見る強行軍であったし、同時に、歩兵の行軍速度として歴史上でも三指に入る速さだろう。ほぼ限界の速度と見て良い。
 そして冒頭でも挙げた、司馬懿の千二百里を8日、1日65qの強行軍。サバを読んでいた分を除外しても1日50q以上は神速といって良い用兵ではある。
 恋姫の登場人物でもある夏侯淵は迅速な行軍での電撃戦を得意とし、『魏略』において「三日で五百里、六日で千里」と称えられている。具体的にどこでどう使ったという実例はわからないけれども、事実ならば1日70qほど。





 9.役人と政府と地方制度

 官吏の最低賃金は月額600銭。年額で7200銭である。
 資料に残る例では、北方の軍事施設で長官から順に
 長官月額6000銭
 副官2000銭
 上級の役10人が1200銭(計1万2千銭)
 中級の役10人で600から900銭(計6千から9千銭程度)
 下級役人80人がそれ
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