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資料 恋姫時代の後漢
資料 恋姫時代の後漢
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性が高いが、武帝の時代には歳入の多くを支えたとされる。基本的に増税をするときはまず咨算から行っていたようだ。
 算賦の総額を総戸数で割れば一戸あたり338.7銭。
 前漢末期の一戸あたりの平均口数は、後の魏の支配下となる北方で5.65人、呉と蜀のある南方で4.05人、漢全体では5.13人だったので一戸4人から5人で計算すれば、大人2人と子供2人の家庭で人頭税は286銭。大人3人と子供2人の家庭で同じく406銭。大人2人と子供3人の家庭では309銭。3例の平均は333銭。
 人頭税だけでこの額になるため、咨算を加える余地はないだろう。咨算は一般的な税ではなく、かなり限られた層に掛かる税だったのかもしれない。


 最後に労役。公共事業などにかり出された。軍人の補佐をする兵役も含むが、戦う兵士となる『徴兵』とは意味も仕事も別。300銭(更賦)を納めれば免除された。
 開墾や灌漑のための労働、兵役でも給与は支払われなかった。しかし、装備や食料は支給されていたとされ、食料は毎月粟3石3斗3升(米で2石相当)、装備品は3400銭が毎年更新分とされる。
 支給品の衣服は私物としてよく、上下を合わせた価格は1000から1500銭。
 おそらく私物化が認められていなかった支給品は、弩の2000銭、矢が一本で9銭、防具の7000から9000銭。後述の軍事でもう一度書こう。武器防具は4年更新?
 兵役は23から56歳の男子が1年間を1期として計2期課せられた。仕事は「戦争」ではなく、警邏、斥候、伝令、輸送や警護、雑役が主だった。戦闘訓練はほとんど行っておらず、戦闘となった場合も弩を扱うことだけに特化するなどしていたらしい。
 軍侯(現代で言う少佐から大佐)の下に200から300人という数で直接仕えた。

 三国志の登場人物のうち、生没年の判明している29人の平均年齢53.72歳と、後漢時代の碑文に刻まれた75例の平均年齢55.29歳から、平均は54.85歳。
 なお、後漢書などの史書に掲載されている人物は、どの程度大げさに書かれているのかが不明だったので除外。曰く最高齢160歳。意味:化け物。
 23歳以降の人口を全体の40%(※)として、兵役の義務を負う人数は約60万人。後述の軍事を元に、毎年の出費は食料の支給が1320万石と現金9億銭。装備更新は合計約60億銭を何年かにわけて行う。なお、ここまでは非戦闘員。
 ※現代日本では23歳以降の割合は78.8%、明治21年の調査では52.6%
 戦闘を行う職業軍人は『騎士』と呼ばれ、給与も支給された。毎年8000銭。毎年の出費は兵士10万人あたり、食料支給220万石と現金9.5億銭。装備更新は年をまたいで10億銭だが、非戦闘員よりも消耗が激しいと思われるため、より大きく見積もった方が良いかもしれない
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