暁 〜小説投稿サイト〜
資料 恋姫時代の後漢
資料 恋姫時代の後漢
[22/36]

[1] [9] 最後 最初
0分の1、およそ200銭(後に60銭)が掛けられた。兵役を課した平民などへの現物支給のために、ほぼ全額が物納であったと思われる。この税を田祖と呼ぶ。
 税収から逆算して農家一戸の収入は現物で6000銭程度。
 この税金は前漢時代から続いてきたもので、後漢時代の後期には徐々に率が下がっていき、一戸あたり200銭の税収があったと記された司馬遷時代の30分の1から、末期には100分の1まで下がったようだ(※)。不作や戦後の混乱で途絶える時期もあった。
 ※魏では収穫の大部分を税として取り上げる屯田兵が制度化されていた。おそらく物納には余裕があったのだと思われる。
 前漢末期、10分の1がかけられていた時代に総額70億銭が集められたという記録がある。逆算すれば一戸あたり572銭であり、一戸あたりの収入が5720銭程度であったことがわかる。

 後述の軍事にもあるが、この時代、大人1人あたり1年間に18石を食べると言われていた。おそらく玄米での数字である。玄米で18石は306s。1日約840グラム。
 ローマ人は1日に穀類1キログラムを食べていたと言われる。また、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』では質素な生活の例として「一日ニ玄米四合」(約620グラム)と少しの野菜を食べると書かれた。これらを根拠として1日840グラムという量が概ね正しい数字と仮定すれば、子供2から3人を含めた5人家族が食べる量は1年で80から85石ほどと推定できる。
 前述の『単位』にあるように、農家一戸で玄米1.25トン=73.5石から1.65トン=97石程度の収穫があったとすれば、食べた後に残るのは少なく見積もって全くのゼロ。多くても15石程度だろう。

 15石の玄米が6000銭だと仮定すれば、1石あたり400銭。物価一覧から見ればかなり割高となる。しかし、これならば毎年僅かな数の服を買えるなど、多少の余裕があるだろう。1223万戸から611万石相当が田祖として納付される計算。
 97石の玄米が6000銭だと仮定すれば、1石あたり約60銭。原価として考えても物価一覧からは逸脱する上、後述の人頭税まで支払えば農家にはほぼ何も残らない。田祖として1223万戸から4000万石相当が納付される計算。


 次に人頭税。これは大変にわかりやすい。大人120銭、子供23銭。一律で現金納付である。大人の120銭を軍費、子供の20銭を天子の奉養費、子供の3銭を(武帝以降)車騎の馬を整える費用とした。不作の際は減額されることもあった。
 この税もまた前漢時代に始まったもので、総戸数1223万戸の人口5960万人から41億4252万銭を集めたとされる。ただし、この41億は財産税(咨算)を含んだ数字である。
 人頭税と咨算を合わせて『算賦』と呼ぶ。
 下記の通り、咨算は形骸化していた可能
[1] [9] 最後 最初


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ