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資料 恋姫時代の後漢
資料 恋姫時代の後漢
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ったのは広陵郡。袁術が徐州に攻め込んだときも同じく広陵郡だった。



 豫州(よしゅう) 618万人 114万2千戸 袁術を経て魏の支配下

 州下の郡の平均人口なら後漢最大と思われる土地。司隸の南東側に位置する。
 州都は曹一族や夏侯一族の出身地、沛(はい)国の?(しょう)県。許緒もここの出身。後に曹操が献帝を迎え入れると、建安元年(196年)9月に遷都、頴川(えいせん)郡許(きょ)県に移った。なお、許が許昌(きょしょう)と改名されるのは黄初元年(220年)11月の魏建国後、黄初2年(221年)正月のこと。

 豫州は古くから袁家の影響下にあり、袁一族は汝南(じょなん)郡汝陽(じょよう)県の出身。潁川郡にも強い影響があった。
 袁紹は河北で勢力を伸ばす前、豫州によって勢力を伸ばそうとするが、先んじて冀州渤海郡太守に任じられたため北へ。遅れて豫州入りした袁術がこの地をまとめ、後に曹操の治める?州を攻撃、大敗して逆に攻められるようになる。
 袁術、曹操、呂布、劉備らによる奪い合いで荒廃、その後曹操が統一するも、官渡の戦いの際には袁家の影響が大きい汝南郡で反乱が起きたりと、落ち着かない。



 揚州(ようしゅう) 434万人 102万1千戸 後に呉の支配下

 州都は九江(きゅうこう)郡寿春(じゅしゅん)県。呉の首都とされたのは呉(ご)郡呉(ご)県、建安16年(211年)に丹楊(たんよう)郡秣陵(まつりょう)県に遷都、翌年から石頭(せきとう)城という要塞を築城し建業(けんぎょう)に改名。

 州は長江の北側、北端の九江郡とその南の盧江(ろこう)郡が都市部。長江の南側、中央に丹陽郡と東に呉郡、南東に会稽(かいけい)郡、南西に豫章(よしょう)郡は田舎な地域。

 九江郡寿春県は交易の中心地で、豫州を追われた袁術が揚州に逃げ込んだ時の本拠地。
 盧江郡は周瑜を輩出した名門、周家の影響が強い。ちなみに盧江郡の北西は州境を挟んで豫州汝南郡。汝南の名門、袁家とは関係が深かった。
 長江の南では呉郡の四姓と呼ばれる豪族四勢力が力を持っており、呉の重鎮として顧雍を輩出した顧家、陸遜の陸家、朱桓の朱家、張温の張家がそれにあたる。
 孫家は『その他の豪族』に含まれる呉郡富春(ふしゅん)県の地方豪族。
 これらからわかるように、呉は共和制に近い政治体制。

 また長江の南には山越と呼ばれる異民族がいた。山越は賊の名称ではない。



 荊州(けいしゅう) 626万人 139万9千戸 後に魏呉蜀によって分割

 州都は武陵(ぶりょう)郡漢寿(かんじゅ)県。劉表が荊州入りしてからは南(なん)郡の襄陽(じょうよう)県。さらに、魏の支配下に入ってからは南陽(なんよう)郡宛(えん)県に移った。
 最北部に南陽郡、その南西に
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