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資料 恋姫時代の後漢
資料 恋姫時代の後漢
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人口を増やしていた。

 冀州北東側には州下最大の人口を誇る渤海(ぼっかい)郡。袁紹は中平6年(189年)12月に渤海太守に任じられ、初平2年(191年)秋に冀州を奪って魏郡に本拠を移し、初平2年(191年)冬に公孫賛の従弟に渤海太守の印綬を譲渡している。
 冀州の最も南に州都?(ぎょう)を有する魏郡。その北側の鉅鹿(きょろく)郡は黄巾の乱の本拠地となった。州の北西には趙雲の出身地である常山国があり、黄巾の残党が山賊化した『黒山賊』というかなり大規模な賊の根城となった。

 191年頃に30万の黄巾残党が青州から渤海に侵入。袁紹と争っていた公孫賛がたまたま居合わせ散々に打ち破る。2万の手勢で3万を斬って追い払い、黄河を渡り始めたところで追撃して数万を斬って黄河を赤く染め、7万を生け捕りにしたのだとか。

 官渡の戦い(建安5年)から5年をかけて曹操に平定(建安10年)されている。



 并州(へいしゅう) 69万人 11万5千戸 袁紹を経て魏の支配下

 并州は後漢では涼州に次いで人口の少ない土地。
 州都は州中央から南東方向にある太原(たいげん)郡晋陽(しんよう)県。
 同じく北方にある幽州と似た状況で、騎馬民族である南匈奴、北匈奴、鮮卑、烏桓の侵攻に晒され続けていたため、騎兵の運用に長けている者が多かった。
 異民族との外交は融和などを主軸に置いていたようで、血が混じっている者が多く、後の魏による威力外交には州で反乱を起こすなどして抵抗したようだ。

 并州北部の五原(ごげん)郡九原(きゅうげん)県の出身者にあの呂布が、州北東部の雁門(がんもん)郡馬邑(ばゆう)県からは張遼が生まれている。
 并州刺史の丁原は、前述の2人に加えて高順を登用している。北限の并州刺史なのに何故か後世の創作では中央より南部の荊州刺史にされてしまっていることが多い。



 青州(せいしゅう) 371万人 63万5千戸 袁紹を経て魏の支配下

 州都は州中央よりやや西側にある斉(せい)国臨?(りんし)県。
 青州下の郡は平均的にそこそこ人口が多い。

 反董卓連合の後に公孫賛の勢力が台頭。30万の黄巾残党が青州平原国から公孫賛のいた冀州渤海郡へ侵入すると、公孫賛はこれを散々に破って青州での勢力を伸ばした。その手で勝手に派遣されたのが平原(へいげん)国相の劉備。劉備は公孫賛が袁紹に大敗すると徐州へ逃亡した。

 その後も小競り合いと土地の奪い合いに終始しているのに統一される時にはあっという間だったり、ここから他州に向けて黄巾賊が無限沸きしたりと、州そのものが話題になることは少ない。

 公孫賛の勢力とその残党が残る青州に、袁紹が長男袁譚を派遣し、後に青州を統一。
 官渡の戦いに当たり、曹操は袁譚の治める青州に対し、
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