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資料 恋姫時代の後漢
資料 恋姫時代の後漢
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 目次
 0.どんな時代?
 1.命名規則と呼び名
 2.書くときに困る 単位
 3.資料が足りない 農業
 4.みんな気にする 物価
 5.どれだけいるの 人口
 6.後漢の地域情報 略歴
 7.みんな知りたい 税率
 8.気になる諸費用 軍事
 9.役人と政府と地方制度
 10.ゲームと三国志演義





 0.どんな時代?

 最初に知っておくべきことは、竪穴式住居に一家で同居していた時代であること。物々交換の時代であること。基本的には北部の方が豊かであり、南部は未開の地であり同時にフロンティアであったこと。
 羌、匈奴、烏丸、高句麗、三韓、鮮卑などの異民族に取り囲まれ、内部にも多数の少数民族を抱えながら、それら全てを見下す漢民族(特に中央出身の役人)と他民族との戦争が絶えない時代だったこと。

 麦、稲、粟(アワ)、稗(ヒエ)、黍(キビ)、大豆などの穀物が食べられており、里芋も存在した。カラムシ、麻、瓢(瓢箪)からは繊維などを取る。桑の葉はカイコの餌として育てられるが果実も食べる。
 主食は粟だったが、生産性の問題で後に主食の座から転落したと言われる。黍は酒造りの材料にも用いられた。米や稗は水陸両用であり、特に稗は寒冷な土地でも育てられる上に使いどころが多いため人気の作物だった。
 苗床は作られず二毛作もまだ存在していないので、生産性はあまり高くない。重度の連作障害によって畑を手放す民が多く、特に長江の上流では移住が多かった。一方で冀州で輪作が行われ始めたり、初期の水車の発明が行われた時期でもある。
 米は水田(水稲)が主だったが、治水の問題で水田を持たない地域では陸稲が作られていた。品種は変わらない。収穫量は水田2に対して陸稲1だが、陸稲の方が栽培の手間が少なく病気に強いという利点がある。ここでは基本的に収穫量の多い水田として扱う。

 西暦100年頃には竹を材料にした紙が皇帝に献上されている。紙そのものは紀元前から作られていたのだとか。質は高くないが細々と作られ続けていたようだ。
 船の帆などには筵や竹を編んだものが使われるコトが多かった。

 犬、鶏、豚はよく飼われており一般的で珍しくないが、牛馬は大規模な牧場で育てられるもので一般的ではない。

 奴隷が存在した。借金などで身をやつした人間や罪人などで戸籍はなく、奴隷の子供も奴隷として、法的にも物と同様に扱われる。売買の際に檻に入れられてやり取りされることもあった。
 また奴隷ではないが、医者や商人、手工業の職人といった職業は差別されており、これらの職には厳しい税が課された事もある。医者は半ば詐欺師、商人は落ちぶれるか大成功かで明暗が分かれるギャンブラー、手工業は奴隷などが行うものと認識されている。

 史実で曹操が就任し
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