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扇の香り
第五章

[8]前話
 昼にだ、タレーランと共にいる時にこう言ったのだった。
「私が奥様に最初に惹かれたことは」
「あの方の美貌や気品だけでなく」
「はい、香りです」
 それからだというのだ。
「扇にあった香り、それからでした」
「そうですか、扇の」
「香水をかけていたのですね、扇に」
 このことをだ、男爵はタレーランと彼が用意してくれた大きなテーブルの上に一度に出されているご馳走を食べながら応えた。
「奥様は」
「ああしたやり方もあるのですね」
「はい、あります」
 その通りだというのだ、タレーランも。
「このベルサイユでは」
「優雅ですね」
 男爵は扇に香水をかけて香りも出すそのことを聞いて言った。
「実に」
「そうですね、それ以上に」
「それ以上にですか」
「その香りで誘う」 
 夫人のその誘い方についてもだ、タレーランは言うのだった。
「それがです」
「最も優雅なのですね」
「そうです、そのことをご理解頂くと」
 タレーランはフォークとナイフを気品ある動きで操り美食を楽しみながら言った。
「この宮殿で楽しめます」
「香水も使う優雅さも」
「その香水で誘うやり方も」
「これが優雅というものです」
 そうだと話してだ、タレーランは男爵にあるものを差し出した。それはグラスに入れられた深紅のワインだったが只のワインではなかった。
 そのワインの香りを受けてだ、男爵は言った。
「このワインの中には」
「薔薇の花を入れていました」
「薔薇のですか」
「赤薔薇のそれを。ボトルから出して花びらを底に入れたデキャンタに移したものです」
「それがこのワインですか」
「こうすればワインにさらに薔薇の香りが加わります」
 そうなるというのだ。
「ですからその薔薇の香りもです」
「楽しむといいのですね」
「どうぞ。香りをも楽しむ」
 タレーランは満足しきっている笑みで男爵に言った。
「それこそが真の優雅さなのです」
「目で楽しむだけでなく」
「香りもまたなのです」 
 男爵に言いながら彼もまたそのワインを飲んだ。ワインはその独特の香りに薔薇のそれも加わってだ。この上なく香しいものになっていた。


扇の香り   完


                            2014・10・24
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