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小学時代を思い出そう!
「母の日の話」

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 母の日にまつわる事を思い出した。

◇◇◇

「ミズキ君は、お婆ちゃんの顔を描いてね」

 保育園の頃から始まった、僕にとって今一つピンと来ない行事「母に日」。我が家には、母親の存在がなかったからだ。
 僕が1歳半の頃、父母は離婚した。僕は父方で引き取られその後、父とのマンション生活をした。4歳から父の実家へ引っ越し、爺ちゃん婆ちゃんとの生活になった。
 保育園では、3歳児クラスから「母の日」の絵を描いた。それまでの2歳児クラスまでは、保育園からもらったカーネーションを、僕は婆ちゃんにあげていた。3歳児になると、母の日に向けて絵を描いて渡す事になったのだ。

「それでは母の日にむけて、お母さんの絵を描きましょう」

 と、先生が言った。僕はすぐに……

「お母さんは」

 と、言おうとしたら……

「ミズキには、お母さんいないよ!」

 と、2歳時から友達のカミが言った。続いてメグちゃんも心配して言ってくれた。

「ミズキ君は、お婆ちゃんのお顔を描いてね」

 と、先生は言った。その時から始まった母の日の恒例行事、似顔絵とカーネーション。それは小学校に入ってからも続いたのだった。
 クラスにも慣れた頃、母の日に向けて図画工作の時間に絵を描く事になった。担任の先生が言った……

「それでは母の日にむけて、お母さんの絵を描きましょう」

 僕はすぐに……

「お母さんは」

 と、言おうとしたら……

「ミズキには、お母さんいないよ!」

 と、保育園時代から友達のカミが言った。続いて同じクラスになったメグちゃんも心配して、先生に言ってくれた。

「ミズキ君は、お婆ちゃんのお顔を描いてね」

 と、先生は言った。僕は、あれ?どっかで聞いたようなセリフだなあ〜と思っていた。何のことない同じ事の繰り返しだ。
 書いていて思い出したが、カミとは高学年でもクラスが一緒で、その時もまた……

「ミズキには、お母さんいないよ!」

 と、先生に言ってくれていた。先生が変わる度に言ってくれていたのだ。
 そうそう、婆ちゃんにカーネーションを買ってあげたのを思い出した。5年生の時だったかな?確か美術の先生に……

「ミズキ君、お婆ちゃんにカーネーションの一本でも買ってあげたら?喜ぶわよ」

 と、言われ。そういうものか?と思って、母の日に市場の花屋で、ピンクのカーネーションを一本買った。

「婆ちゃんこれ」

 と、言ってカーネーションを手渡すと……

「あら、カーネーションかい?ミズキが買ったの?」

 と、言って、とっても嬉しそうな顔をしていたのを覚えている。

おしまい

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