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ある伯爵家子弟の評伝
誕生と幼年期
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フォン・ヘルダーリンだけであった。彼はその後声をかけてくる貴族たちと話しながら、やはり間を見つけては舌鼓を打っていた。彼の手記によれば、この新年祝賀会で彼が会話をした貴族の名前は、ヘルダーリン伯爵、フリーデベルト子爵、セレンドルフ男爵、ガープラー子爵、ヴェストパーレ男爵、マリーンドルフ伯爵、リヒテンラーデ侯爵と彼らの家族たちであった。そしてこの祝賀会には、この年で即位して六年になる皇帝フリードリヒ四世も出席していたが、母親のマリー・フランツィスカを見つけたため、後日、彼と皇帝は面会をしている。これは彼の手記にも、銀河帝国の記録にも残っているものである。

このフリードリヒ四世は、もともとなら帝位につく人物ではなかった。太公時代に放蕩の限りを尽くして、イゼルローン要塞建設の責任者であったセバスティアン・フォン・リューデッツ伯爵の賜死などで名高い吝嗇化の先帝オトフリート五世から勘当される寸前であった。四五二年の長兄リヒャルトの皇帝弑逆未遂の嫌疑による賜死から始まった一連の帝位継承をめぐった争いにより、帝位継承者が彼しかいなかったため、四五六年にゴールデンバウム王朝三十六代皇帝となったのである。その間、ロベルトが当主であったリスナー伯爵家はこれに深く関わることなく中立を保ち、シュテファンをはじめとした息子たちは各々の職務に精励していた。

マリー・フランツィスカの母、イザベル・フォン・ザイドリッツ子爵夫人は亡くなった時には八八歳と長寿で、太公時代のフリードリヒとも浅からぬ面識があった。マリー・フランツィスカも、母親に連れられて面会したことが幾度かあった。三代前の皇帝の庶子でとその娘という、準皇族ともいえるような立場であったためである。非常に温厚かつ読書と甘味、音楽鑑賞が趣味という至って平凡な女性であったこともその原因であるだろう。補足すると、彼の夫のフリッツ・フォン・ザイドリッツ子爵もまた、読書とゴルフ、飲酒と喫煙が趣味の同じような男だった。

祝賀会が終わると、エンゲルベルトは両親にしたがって新無憂宮を出た。

この祝賀会から六か月後、エンゲルベルトは十歳になると同時に、帝国軍幼年学校へと入学することとなった。この決定は二月にはエンゲルベルト本人に伝えられ、特に反対もなく受け入れられたが、入学までの間は両親と叔父達、そして家臣たちによる教育にさらに熱が入った。



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