名を語られぬ彼らが想い
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一つの戦闘が黄河周辺で開始されていた。白馬から延津に向けて進んでいた曹操軍と、烏巣から出撃した袁紹軍がぶつかり合ったのだ。
曹操軍を率いるは一人の少女。極寒の冬を思わせる冷たい瞳は敵軍の動きを悉く看破する翡翠色。手に握る黒い羽扇は、指示の度に鳳凰の羽根の如く舞い踊る。
「左翼先端、二から五まで突撃。中央は蹂躙後旋回。右翼はこのまま押し込んでください」
彼女に従うのは憎しみに燃える白馬義従。やっと解き放たれた怒りは、餓虎のように袁紹軍の先陣を蹂躙して行く。
己が命も顧みず、ただ一人でも多く殺そうと食らいつく様は、何処か黒き部隊と似ていた。
それを感じても、雛里の思考は研ぎ澄まされた剣の切っ先の如く揺れず、淡々と、作業のように指示を出していた。
彼女の始まりの戦から今まで、戦を行う度に別の自分が表に出る。冷徹に、冷酷に、人の命を数と見て、より効率的な戦場を目指して思考を廻し続ける。
希代の天才軍師と誰かが言った。戦術では誰にも負けないと、いつでも自分を高めてきた。しかし餌を与え続けてくれたのは彼で、空を飛ぶ羽根を与えてくれたのも彼。
大陸一の名軍師……そう言ってくれる彼らにも背中を推されて、小さな雛だった少女は、成長していった。
今尚、始まりの決意と覚悟は胸の内に。彼の胸で泣いたあの時を、雛里は一生忘れる事は無い。
断末魔が上がる。馬蹄が人を踏み荒らす音が鳴り止まない。怨嗟の声が戦場に溢れかえっていた。
――嗚呼、どうして……こんなにも落ち着くんだろう。この場所は。
安息があった。充足があった。歓喜があった。
自分の、黒麒麟と並び立っていた鳳凰の住処は此処だと、迷う事なく思えた。
乖離したような感覚。もう一人いる冷徹な軍師としての自分は、この場所でこそ黒麒麟と共に在れるのだと喜び叫んでいた。
心が痛んでいるのに喜んでいる。それはまるで、洛陽での彼のように。ダメな事だと頭で理解していても、彼を感じられる戦場が心を安らぎに導いてしまっていた。
周りに侍る黒の部隊は微動だにしない。彼女を守る為に命に従いて動かず。
――あなた達も戦いたいはずなのに……
どれだけ想いを抑え込んでいるか分かっているが、この戦場だけは白馬に譲ろうと考えてか、雛里に意見する事もない。
ふるふると頭を振るって戦場を見やる。慌ただしい騎馬の戦で、彼女達だけは山の如くどっしりと構え続けていた。
遠くで声が聴こえた。
「貴様らがっ……俺達の大事なもんを奪ったんだぁぁぁぁぁっ!」
涙を流しながら矢を射る兵士が、憎しみを込めて叫んでいた。
ズキリ、と雛里の胸が痛む。彼は白馬義従第二師団の生き残り。大切な大切な白馬の片腕への想いが、もう溢れて止まらない。
遠くで声が聴こえた。
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